ロッテ重光の経営戦略の要諦、「消費者が買いたくなるような値打ちのある“サービス”を」峨山病院(ソウル)での通夜・告別式の様子(2020年1月)

裸一貫で創業したロッテを、日韓を股に掛けた巨大コンツェルンにまで育て上げたカリスマ経営者、重光武雄。その経営哲学は、前回の連載で述べた2つの行動原則と4つの経営原則だった。とりわけ、「信頼される人になる」と「人に迷惑をかけない」という2つの行動原則は重光が生涯追い求めたものだった。そして、ロッテ躍進の原動力であり続けたのは、顧客志向に代表される重光の鬼才的なマーケティングと経営ストラテジー(戦略)である。連載最終回は「重光経営」の根幹を成す経営手法を振り返る。(ダイヤモンド社出版編集部 ロッテ取材チーム)

重光がいち早く実践していた顧客志向

 マーケティングという言葉はいろいろな使われ方をする。狭義には販売的な観点から市場を分析するニュアンスだが、マーケティングと販売は字義以上に大きく異なる。「マーケティング界の巨匠」と呼ばれ、ハーバード・ビジネススクール教授や『Harvard Business Review』の編集長として1970〜80 (昭和45〜平成元)年代のマーケティングブームを創造・牽引したセオドア・レビット博士はこう述べている。

「販売は売り手のニーズに、マーケティングは買い手のニーズに重点が置かれている。販売は製品を現金に替えたいという売り手のニーズが中心だが、マーケティングは製品を創造し、配送し、最終的に消費させることによって、顧客のニーズを満足させようというアイデアが中心である」(*1)

 レビットは60(昭和35)年に発表した「マーケティング近視眼」で、鉄道や映画制作などの事業における多くの企業の衰退の原因は、自らの事業を狭く定義した「近視眼」にあると喝破し、経営者にも、顧客の立場つまりマーケティング的な視座から自社の事業を俯瞰的に見ることが重要だと説いた。例えば鉄道会社は、鉄道を目的とせず、輸送を目的とすれば、鉄道事業のみに固執せずに輸送産業として顧客に様々なサービスを提供して、衰退してしまうことはなかったというわけである。これ以降、レビットは革新的な論文や著作を次々と発表。事業を顧客の視点で見直し、マーケティングの考え方を事業展開と経営全般に貫徹するという、今でこそ当たり前のことのようにとらえられているが、経営における顧客志向の重要性を説き、その画期的な経営理論は欧米の有力企業に浸透していった。

 だが、重光はいち早く、こうした顧客志向の経営というマーケティング理論を、現場感覚で実践していた。重光経営の際立つ特徴の一つが、マーケティングを基軸とする経営戦略である。これについて、ここでは、商品開発、販売戦略、販売促進・宣伝、流通対策までも含めて考えたい。最後の流通対策は、重光経営の核心でもあるので、「重光のストラテジー」として項を改め、詳しく説明しよう。

 まず商品開発で重光が貫いたのが“本物”志向だった。ロッテの祖業であるチューインガムでは、見よう見まねで作られた粗悪品が幅をきかせる終戦直後、すでに重光は酢酸ビニル樹脂(食用)を使用した本物のチューインガムを売り出していた。52(昭和27)年には人工甘味料使用が主流だった市場に戦後初の砂糖使用ガムを投入して大ヒットさせた。54(昭和29)年の板ガム参入に際しては、業界トップのハリス社打倒の武器として天然チクル使用を打ち出した。

 64(昭和39)年に参入したチョコレートも、「代用グルコースチョコ」と呼ばれたグルコース(ブドウ糖)を主原料とする代用品が市場の主力だった頃にはほとんど製造することはなく、60(昭和35)年にカカオ豆・ココアバターの輸入が自由化され、“本物”のチョコが製造可能になってから板チョコに参入した。ビスケットでは全粒粉を基本に据えたし、かたやアイスでは、既存大手の乳脂肪使用の「アイスクリーム」と差別化すべく、植物性脂肪使用の「ラクトアイス」を主力にしている。

*1 Theodore Levitt, “Marketing Myopia,” Harvard Business Review, Jul-Aug 1960.(邦訳「マーケティング近視眼」『Diamondハーバード・ビジネス・レビュー』2001年11月号)