資生堂は、2021年から新たな中長期経営戦略「WIN 2023 and Beyond」の初年度に入った。この新戦略では「PERSONAL BEAUTY WELLNESS COMPANY」というビジョンの下、2030年度までに売上高2兆円、営業利益率18%という、コロナ禍が始まる以前の2019年度実績の約2倍となる野心的な数値目標を掲げている。その核となるのはスキンビューティー領域であり、ここは高付加価値が望めるという。

 その指揮を執るのが、2013年4月にマーケティング統括顧問として招聘され、翌2014年4月に社長に就任した魚谷雅彦氏だ。資生堂が外部から社長を招き入れるのは、松本昇氏以来73年ぶりで、内部昇進を経ずして社長に就任したのは魚谷氏が初めてである。

 資生堂が企業変革の必要性を明示的に掲げたのは、「コーポレートデザイン室」を立ち上げた福原義春氏の社長時代に遡る。「変革に終わりなし」といわれるが、その思いは、弦間(げんま)明氏、池田守男氏、前田新造氏、末川久幸氏へと引き継がれ、そのバトンは魚谷氏に託された。

 変革のリーダーという仕事は、想像以上に困難が付きまとう。それは、矛盾や相克といった「両義性」を抱えた問題、つまり改革のジレンマである。たとえば、本社の統制などの求心力を維持しながら個の尊重や現場のコミットメントといった遠心力を働かせる、長期ビジョンを掲げながらも足下の単年度業績を必達する――。そのほか、グローバルとローカル、若手とベテラン、本社部門と事業部門など、数え出したらきりがない。とりわけ資生堂の場合、マトリックス組織を導入したことで、縦(地域)と横(事業やブランド)の調整といった難題もある。

 しかし、魚谷氏によると、こうしたコンフリクトこそ価値創造や創意工夫の源泉であるという。むしろ両義性をすすんで受け入れ、巧みに利用する姿勢は、そもそもは哲学者の清沢満之(きよざわまんし)の唱えた「二項同体」であり、この概念を発展させた一橋大学名誉教授・野中郁次郎氏の「二項動態」といえる。つまり、あれかこれかの一元論や二元論ではなく、あれもこれもの多元主義(プルーラリズム)である。そして、こうした矛盾や相克、同床異夢を建設的に融和し、そこから価値を生み出すのが、魚谷氏の言うところの「信頼」という無形資産である。

 本稿では、魚谷改革の6年間を振り返りながら、100年先も輝き続ける企業を目指すチェンジリーダーシップについて聞く。

「人生何が起こるかわからない」
青天の霹靂だった社長就任

編集部(以下青文字):2014年、創業140年を超える老舗企業の資生堂において、落下傘社長の誕生は初めてのことです。その1年前の2013年から、当時社長だった前田新造氏に請われてマーケティング統括顧問を務められていましたが、それは社長就任への布石だったのでしょうか。

企業変革は<br />ピープルファーストから始まる資生堂 代表取締役 社長 兼 CEO
魚谷雅彦
MASAHIKO UOTANI
1954年奈良県生まれ。1977年、同志社大学卒業後、ライオン歯磨(現ライオン)に入社。米国コロンビア大学経営大学院にてMBAを取得。1994年、日本コカ・コーラに入社し、社長・会長を歴任。2013年に資生堂のマーケティング統括顧問に就任、2014年より現職。資生堂史上初となる内部昇進を経ない外部出身社長として、低迷していた同社の再建を託され、「100年先まで輝き続ける企業」に向けた土台を構築。今年2021年には、新たな中長期経営戦略「WIN 2023 and Beyond」を掲げ、改革から本格的な成長ステージへと突入し、その陣頭指揮を執っている。

魚谷(以下略):「人生、いったい何が起こるかわからない」の一言に尽きます。まさに青天の霹靂でした。あくまでもマーケティング改革というミッションの中で、統括顧問に就任しました。そこから1年後にまさか自分が社長を引き受けることになるなんて、まったく考えてもいませんでした。前田さん自身も、「ゆくゆくは社長に」といった考えで、私を呼んだわけではなかったように思います。

 私は、これまでずっとマーケティング畑で働いてきました。なかでもコカ・コーラで学んだのは、マーケティングとは全社活動であり、会社経営そのものだということです。

 特にB2C企業の場合、お客様が何千万人、何億人もいて、ビジネスが成り立っています。会社が存続しているのも、世界中のお客様が飲料一本、口紅一本を買ってくださり、それら一つひとつが膨大に集積した結果にほかなりません。それゆえ、いかにしてお客様のニーズをとらえ、認知され、興味を持ってもらい、買っていただき、さらには買い続けていただくか。それがマーケティングなのです。

 営業や商品開発などのさまざまな組織はすべてマーケティングを構成する要素であり、全社の力を結集してお客様と向き合わなければなりません。そうした、当たり前ともいえるマーケティングの原点に立ち返ることが、当時の資生堂には必要だったように思います。

 こうして私がマーケティング統括顧問となってから1年が経とうとしていた時、社外取締役を務める上村達男先生(早稲田大学名誉教授)に呼ばれました。「これまで実際に見聞きしてきたことを踏まえて、資生堂が抱えている問題を率直に教えてほしい」とおっしゃるのです。すると、次は同じく社外取締役の岩田彰一郎氏(元アスクル社長)から、さらには社外監査役の大塚宣夫氏(慶成会会長)からと次々に呼び出しがかかりました。

 後から考えると、その方々はサクセッションプラン(後継者育成計画)を担うチームメンバーだったわけですが、私はいっさい忖度することなく客観的な視点から「このままではだめですよ」と問題点を直言しました。というのも、マーケティング改革以前に、日本の老舗企業にありがちな縦割り組織とヒエラルキーが、資生堂の大きな障害になっていると感じていたからです。

 縦割り組織による弊害の一つが、営業部門と開発部門の対立です。「開発が魅力的な商品をつくっていない」というのが営業の言い分で、開発によれば「営業力が足りないからだ」という。お互いに責任をなすり付け合い、反目していました。全体を俯瞰して戦略や収益について一緒に考えるという仕組みがなく、それが業績の低迷として表れていたのです。何しろ当時の国内市場は右肩上がりで成長していたにもかかわらず、資生堂は6年連続減収という有り様でした。