7月27日に公開されたウェブセミナー「ワールドクラスの経営」(協賛:ブラックライン、キリバ・ジャパン、ジェンパクト、Tagetik Japan)。最初のセッションとして行われたボストン コンサルティング グループの日置圭介氏と早稲田大学大学院の入山章栄教授との対談に続き、企業経営の視点からワールドクラスの経営を考える。前半は、デュポンのマネジメントを担った経験を持ち、『ワールドクラスの経営』の共著者でもある橋本勝則氏と日置氏の対談。後半は両氏に青山朝子氏(NEC)、栗本克裕氏(ホシザキ)、瀬尾明洋氏(IHI)が加わり、パネルディスカッションが行われた。

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デュポンが実践する
事業ポートフォリオ入れ替え

 メガトレンドを見据え、事業ポートフォリオを大胆に入れ替える。それを実践するワールドクラス企業の代表ともいえるのが、デュポンである。デュポンのマネジメントに長く携わった橋本勝則氏はこう説明する。

「デュポンは1802年に創業され、最初の100年は火薬の会社、次の100年はケミカル、化学品の会社でした。200周年の節目となる2002年ごろ、『次の100年』をテーマに、次期CEOがリードしてさまざまな議論が行われました。地球規模のメガトレンドに対して、自分たちの技術やコンピテンシーをどのように生かすか。その方向性を見いだそうとしたのです」

「ワールドクラス」を目指す日本企業に求められる変革とは?東京都立大学大学院
橋本勝則経営学研究科 特任教授
(元デュポン 取締役副社長 CFO)

慶應義塾大学商学部卒業。デラウェア大学MBA。YKK入社後英国子会社にCFOとしてM&A2件、欧州持ち株会社・欧州HQ会社を設立。米国デュポン社では、シニアビジネスアナリスト、持分法適用会社財務報告のグローバルプロジェクトリーダー、内部監査マネージャー。帰国後、東京トレジャリーセンターの設立、グローバルトレジャリープロジェクトに参画後、2001年財務部長。20年9月末まで取締役副社長としてグループ会社ガバナンス、スタッフ部門、ダウケミカルとの合併・3社分割を担当した。20年10月から現職。

 このときの議論は一過性の「周年事業」ではない。デュポンはメガトレンドを継続的にウオッチしながら、事業ポートフォリオの見直しを続けている。M&Aを通じて外部から事業や技術を獲得するだけでなく、自社で運営する意義の薄れた事業は売却する。よく知られているのが、04年に行われたナイロンを含む繊維事業の切り離しだ。ナイロンは1935年、デュポンで生まれた合成繊維である。

「当時、ナイロンはデュポンの代名詞的な存在でした。社内では保守本流の事業で、幹部の多くもナイロンを経験し、愛着のある事業でした。しかし、競争力の観点から将来にわたって先進国で繊維事業を維持し続けるのは難しい、そんな苦渋の判断が下されました」と橋本氏は説明する。

 デュポンには「ベストオーナー・マインド」という言葉がある。ある事業にとってのベストオーナーは誰か、本当に自分たちが担うべき意味のある事業なのか、と問う姿勢のことである。

 これを踏まえて日置圭介氏は、「メガトレンドを踏まえながら、自社の強みにより適合する事業へとポートフォリオを組み替えていくのがワールドクラス企業ですが、日本企業は少し違うように思います。『強みに張るよりも、多くの事業を持っていた方が、生存確率が高まる』と考えている企業もまだ多いのではないでしょうか。ですので、転換がし難い。ただ、事業を持ち続けて、手遅れになってしまうとポートフォリオの暗黒面ともいえるリストラクチャリングという『負け』の処理に追われてしまいます。簡単ではありませんが、競争力があるうちにどのような判断をするか。デュポンのような動きも理解しておくべきでしょう」と述べた。

 デュポンに関してさらに世界を驚かせたのが、15年に発表されたダウケミカルとの合併である。両社は統合した上で、19年には事業特性を踏まえて3社に分割された。橋本氏は「最初からおのおのの特色を生かす三つの上場会社に分かれることを想定し、そのためにいったん一つになったということ」と話す。

 日置氏は「非常に短い期間で、これほどの再編を実行した。このスピード感に圧倒されます」と語る。それが可能であった理由の一端を、橋本氏はこう明かす。

「両社共に、精緻なファイナンスのデータを持っていたことが大きい。この再編の過程では、独禁法をクリアするために小規模なディールも複数発生していました。その基盤がなければ、おそらく、もっと時間がかかったでしょう」

 デュポンとダウケミカルといったワールドクラス企業には、グローバルで企業経営をしていくために必要となる共通の「型」が存在するのであろう。