先ほどの「年率マイナス2%成長の100億円の利益が出るビジネス」しか投資機会がない場合、これに対して、(1)誰か気の向いた人が投資する、(2)みんなで手持ちの資金の半分を投資する、(3)このビジネスを社会の持ち物にする、といった選択肢がある。

 読者は、どの選択肢が優れていると思われるか。

 筆者は、(1)が圧倒的に優れていると思う。なぜなら、このビジネスの価値が1250億円だと推定するためには、多くの欲張りな資本家がこのビジネスの評価を試みて、ほどよい価格を決めるプロセスが必要だからだ。

 付け加えると、資本家の中にもリスクテイクに積極的な人と消極的な人がいるだろう。積極的な人にはより多く投資させてあげるといいし、消極的な人には無理に平均並みの投資を強いる必要はない。それぞれの人にとって、自由に投資を決定できる方が、不自由な投資を強制されるよりは好ましかろう。

「公共財の扱いを社会が熟議で決める」
には権威主義化のリスクがある

 マイナス成長でも資本の私有と資本の量の調節が両立することは十分に分かってもらえただろうと思う。であれば本稿はここまでで終えてもいいのだが、もう少し考えてみよう。

 現実のビジネスは、先ほど想定したような「人口に比例する利益が期待できる、競合のないビジネス」のように評価しやすくはできていない。

 どのようなビジネスにいくら投資するのがいいかは、資本主義的なモチベーションを持った投資家に発見してもらうのがいいのではないか。

 資本主義自体をやめて、コモン(公共財)の扱いについて、専門家の意見を尊重しつつ社会のメンバーが「熟議」して決めるといいというアイデアがある。しかし、この仕組みで最適な投資を見つけるのは簡単ではない。

 一つには、ビジネスの投資機会は多数存在していて、どのビジネスに投資したらいいかを決めることが簡単ではない。また、それぞれのビジネスにいくら投資したらいいのかという「程度の問題」を同時に決めなければいけないことに「コモン」のメンバーは直面する。加えて、メンバーの誰が何をやりたいのかについても調整しなければならない。問題はあまりに複雑であり、これを「議論」で決めようとするのは非現実的だ。