万葉の時代から1000年以上存続する、「世間」という伝統的人間関係もその一つだ。

「世間」には、たくさんの俗信や迷信から構成される「呪術性のルール」があり、日本人はこれを実に律儀に守っている。死刑はきわめて古くからある刑罰であり、ケガレという伝統的意識が強固に残っていることが、現在も死刑制度が支持される一つの大きな理由となっているものと思われる。

「体感治安の悪化」背景に
2000年以降、厳罰化の流れ

 二つ目の理由は2000年代以降、顕著になってきた「厳罰化」の流れだ。

 先述した内閣府の調査では、90年代の死刑支持の割合は、94年73.8%、99年79.3%と70%台だったが、00年代以降に入ると80%台へと確実に増えている。

 この背景にあったのは、ここ20年ぐらいの「世間」の同調圧力の肥大化による、異質なものを徹底して排除する「厳罰化」への流れである。

 この時代に、日本の社会に大きな変化が起きたのだ。

 たとえば、1999年、当時18歳の少年が母親と生後11カ月の子どもを殺した「光市母子殺害事件」では、被害者の家族がマスコミを通じて、被告に厳しい処罰を求め、少年被告は1・2審で無期懲役だったものの、06年最高裁で審理が高裁に差し戻され、08年には広島高裁で異例の死刑が言い渡された。

 その間、差し戻し審で少年被告の弁護を担当した弁護士が、「社会の敵」として「世間」から激しいバッシングを浴び、前代未聞の弁護士会への懲戒請求まで行われた。

 死刑判決は、このような異質なものを徹底して排除する「厳罰化」の台頭という、「世間」の空気を反映したものだと思う。

 こうした空気の変化を背景に、日本では2000年ぐらいから刑事司法における「厳罰化」が進んだ。

 裁判では死刑や無期懲役の判決が増加し、立法上でも、01年の危険運転致死傷罪の新設、05年の刑法改正で、有期懲役・禁錮の上限が20年から30年に大幅に引き上げられ、10年には殺人事件など重大犯罪についての時効が廃止された。

 注意したいのは、この「厳罰化」の背後に治安の悪化があったわけではないことだ。

 たとえば殺人の犯罪率は、現在では一番多かった1950年代の1/5ぐらいで、戦後一貫して減少している。しかもいま、この殺人の犯罪率は、先進国のなかで最も低い。意外に思われるかもしれないが、現在という時代は歴史上、最も治安がよく最も安全な時代だといえるのだ。