にもかかわらず日本で「厳罰化」が起きたのは、実態とは異なる「体感治安」の悪化があったといわれる。
つまり殺人の数自体は少ないのだが、「津久井やまゆり園事件」のような凶悪で不可解な事件が起きたときに、メディアが大きく取り上げ、時にセンセーショナルに報じることによって、人々の不安感があおられ、犯罪が増え治安が悪化しているとの体感が広がったのだ。
要するに、ここ20年ぐらいの「世間」での「体感治安」の悪化による「厳罰化」の流れが、依然として死刑制度が支持され続ける、もう一つの理由となっている。
「日本の文化」理由に
国際社会を説得できるのか
日本の死刑制度に対しては、国連機関をはじめ国際社会からの厳しい批判がある。
それに対して、たとえば2002年に森山眞弓法相(当時)は、「欧州評議会オブザーバー国における司法と人権」という国際会合で、死刑は日本の文化であり、「死んでおわびをする」という慣用句にはわが国独特の、罪悪に対する感覚があると反論している。
だが、それが「日本文化」だと、国際的に死刑制度を正当化できるのかは、疑問だ。
私が危惧するのは、これはあくまでも内輪向けの議論にすぎず、海外に対してはまるで説得力を持たないのではないか、ということだ。
たとえばEUは死刑廃止の理由を、すべての人間には「生来尊厳が備わっており、その人格は不可侵」だからだと説明している。
こうした考え方や批判に対して日本政府はどう答えるのか。きちんと正面から答えなければならない、国としての責務があるはずだ。
1年9カ月「執行ゼロ」続く
国民的議論を深める好機
こうした状況でここにきて刮目すべきなのは、日本ではこの9月末まで、2019年12月26日の最後の死刑執行以来、約1年9カ月間、死刑執行ゼロの状態が続いていることだ。
この事実上の「死刑執行モラトリアム」が続く理由として、(1)2020年の黒川元検事長の賭けマージャン問題などの検察庁の不祥事があったことや、(2)「平和の祭典」にはふさわしくないということなのだろうか、今年夏に東京オリンピック・パラリンピックが開催されたこと。そして(3)、新型コロナ禍の影響が指摘されている。
ちなみにアムネスティによれば、20年は新型コロナの影響で世界における死刑執行件数は前年比で26%減になっているそうだ。
また執行件数は近年、減少傾向で20年は過去10年で最小水準だったという。