時速105キロでも踏切を視認可能な400メートルより手前、左カーブを通過中に特発(遠)を視認する必要があるが、特発(遠)は約100メートル手前から直接視認できるので、そこからブレーキをかけても踏切の手前に停車することは可能だった。これが時速85キロになると、特発(遠)どころか神奈川新町駅のホームに設置されている「特発(中)」、「特発(近)」を視認してからブレーキをかけても余裕で停止することができる。

 つまり時速120キロ運転の開始以前と以後では、運転士の特発の視認に対する要求が全く異なっている。少なくとも特発を設置した時点では、カーブの先にある特発を架線柱の隙間から見越すようなことは想定していなかったはずだ。

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 京急によれば時速120キロ化にあたり特発の視認距離を確認しており、一部の踏切では移設、増設をした例もあるという(具体的な箇所は「保安上の理由」により回答を得られなかった)。ではなぜ神奈川新町第1踏切が見過ごされてしまったのだろうか。数字上、「停止距離」と「視認距離」は確保されていると判断したのかもしれないが、その結果、事故を防ぐことは出来なかった。

 この区間の時速120キロ化は運転士から不安の声も出ていたという。特発の視認性に関するヒヤリハット報告もあったと聞いている。なぜ、こうした現場の声を安全対策の見直しにつなげることが出来なかったのか。京急がまず着手すべきは、特発の設置基準の見直しや、障害物検知装置とATSの連動化の可否ではなく、運輸安全マネジメントの再検証である。体制が確立されれば、個別の課題の答えはおのずと出てくるはずだ。

 最後に京急の名誉のために付け加えておくと、京急は1954年に発生した列車とバスの衝突事故を受けて、いち早く踏切障害物検知装置の開発に着手。1962年に赤外線センサー式の検知装置を試験的に設置し、1966年に正式導入した実績がある。

 大動脈である東海道本線・京浜東北線に並行する京急は、京浜間の住宅密集地を縫うように走る立地的なハンデを、その時々の最新技術を積極的に導入することで克服してきた。近年は従業員の名人芸ばかりが語られがちだが、本来は人と技術のバランスを模索してきた企業だったはずだ。もう一度、原点に立ち返り、利用者と従業員の両方に愛される京急を目指してほしい。