アフガニスタンに関して
日本が行うべき戦略的関与とは?

田原 日本はどうすればいいと思いますか? そもそも日本政府は、アフガニスタンのことなんてちっとも考えていないと思う。総理大臣も外務大臣も、アメリカと仲良くするにはどうすればいいか、中国とどう付き合っていけばいいか、こればかりしか考えていないでしょう。
三浦 アフガニスタンに対して今、日本の政府が取っている立場は、「関係は築くけれど、あなたたちがやっていることは是認していないからね」ということを言い続けるような、かなり価値相対主義的な路線を取ろうとしていますよね。イスラエルとパレスチナの問題に対する接しかたに近い。
でも私はそれでいいのではと思います。日本は戦争なんてできっこないし、その気もない。経済制裁すべきか、人道支援を送るべきかといったら、明らかに日本の国論的には人道支援のほうを選びますよね。それは日本人が、飢えに苦しむ人を救えたということだけで満足できる、そうした感情やメンタリティを持っている国民だからです。
外交においては、私はミャンマーまでは日本が主体的に関わるべき範囲だと思っています。アフガニスタンは、どう考えてもヨーロッパが主体的に関わるべき範囲ですよね。
とはいえ、アフガニスタン難民を受け入れる先の、たとえばトルコに支援するというのは、道徳的に何の問題もありませんし、倍旧する規模で行うといいと思うんです。
トルコの首都のアンカラ市やUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)と日本が協力して建てた職業訓練施設に、以前、訪れたことがあります。
そこにはアフガニスタン難民の子も大勢いたんですね。パンづくりや縫製などの職業訓練を受けている人々は女子比率が高い。アフガニスタン難民だけでなく、シリア難民やイラク難民もいて、私からすると見分けがつかないんですよ。最初はもちろん互いに言葉が通じなかったと思いますが、皆、楽しそうに会話をしている。
池内 トルコ語で会話をしている。

三浦 そうです。ちょっとシュールですが、各国の難民の子たちがトルコ語で会話しているんです。トルコはやはりそういうところが素晴らしい。トルコはイスラムの国なので、イスラムの難民を包み込むことができるわけです。
では、日本がアフガニスタンの難民を受け入れてうまくいくかというと、多分、相当難しいのではないかと思うんです。
だから、難民を受け入れる国にも最大限の支援を行う。トルコのような新興経済は、大量の労働力を必要としています。そこに難民が労働力として入っていって人口が増えても問題はないはずです。そこに日本は手厚い支援を行うべきだと思います。それが今の日本にできることではないでしょうか。
池内 アフガニスタン問題について日本はどうしたらいいのかというと、日本外交ってやはり「長いものに巻かれろ」という考えがあるんですよ。
アフガニスタンで「長いもの」となると、多数派のパシュトゥーン人です。パシュトゥーン人の多くは田舎の人たちであり、田舎の人たちの多くが支持するのがタリバンです。となると、結局、「長いもの」とはタリバンでは? という理屈になるわけです。それは理屈としては大方、正しいのだけれど、先ほどお話ししたように、タリバンはマイノリティを厳しく弾圧する。そのような政権を日本が積極的に支援することはできないんです。
ただ、現実にはそこには明らかに弾圧されているマイノリティの民族が存在します。たとえばアフガニスタンで少数派であるシーア派で、アジア系で日本人と顔がそっくりなハザーラ人という民族がいます。
タリバンによってバーミヤン渓谷の仏教遺跡の大部分が破壊されましたが、ハザーラ人の居住地域では遺跡が残っていた。そういう人たちが、「異端の邪教の信者だ」と、差別を受けている。その人たちを救う手段がないんですね。

…アフガニスタンの全人口の約9%を占めるモンゴル系民族。モンゴル帝国の戦士の末裔と考えられている。アフガニスタンではイスラム教スン二派が大多数を占めるが、ハザーラ人にはシーア派の信者が多く、何世紀にもわたって差別と弾圧を受け続けている。彼らの居住地域でもあるバーミヤン渓谷にはかつて盛んであった仏教の遺跡が数多く残っていたが、1998年にバーミヤンはタリバンに占領され、2001年にその多くが爆破された。 Photo:Danial Shah/gettyimages
アフガニスタンで紛争が起これば、トルコ系の民族であればトルコが介入して守ってくれます。タジク人やウズベク人はトルコ系の民族で同族だ、兄弟だといって外交面や、場合によっては軍事面で支援してくれるのです。パシュトゥーン人はパキスタンが仲間だといって支援してくれる。ダリー語を話す人たちはペルシャ語系だからとイランが支援してくれます。
でも、そこから漏れるハザーラ人のような民族は誰も助けてくれません。だからそういう人たちに焦点を絞って日本が救うというのは、大義名分が立つわけですね。
コストもそれほどかからないし、西洋的には「人権問題」と主張できるし、現地の文脈では「ああなるほど、どこからも支援されないアジアっぽい顔をした彼らを、アジアの日本が支援するのね、同族なのね」と、現地人の感覚からは理解しやすい。
アフガニスタン問題の根源である「民族、部族、宗派による分裂、それらのつながりによる外国からの介入」を、より深めるようなやりかたになりかねませんが、現地の文脈を踏まえた日本の戦略的関与となると、こうした支援のしかたというのはあると思います。
三浦 なるほど、興味深いですね。

池内 それは、日本の専門家の知恵を生かすということでもあるんですよ。現地の事情に詳しい専門家たちも、アフガニスタンの「何が問題か」というのはわかってはいるんです。でも、日本の政府の中枢や社会の圧倒的な無関心の前では「そのような問題に取り組むのは無理でしょう」といって放置される。
専門家が自分たちの意見を日本政府の中枢に聞いてもらうためには、どうしても、現地の多数派はこれです、長いものはこれです、と言えば、とりあえずいざというときには話を聞いてもらえる。でもそれだと結局、「日本の政策」とはいえません。
でも、こうした「差別や迫害を受けているマイノリティへの支援」という西洋の人権意識に合致しながら、そして「アイデンティティーが近い民族・部族・宗派への外部からの介入・テコ入れ」という現地の文脈に沿いながら、こうしたエッジを効かせた支援を行うことは、国際社会においても有意義ですし、日本としても外交の強みにもなるはずです。こんな話、誰も聞いてくれませんけどね(笑)。
アフガニスタンの女性の権利に関しては西洋が取り組むはずで、日本の出番があまりない。仮に日本がやるといっても、森さん(森喜朗元首相)の発言に見られるように、日本社会の側の意識がちょっとかけ離れている。「まずは自分たちのところを何とかしろ」といったもめ事が日本国内で始まって進まないでしょう。そこは日本の強みではないのです。
ですので、「誰からも救ってもらえない、孤立しているマイノリティを支援する」、このような政策を行うことは、先ほど三浦さんがおっしゃったような、日本人の感情やメンタリティーからしても、とても合っているのではないかと思います。
田原 ありがとうございます。またぜひ、お話を聞かせてください。
