日本の政治はなぜダメになったか?巨匠たちが教える政治家の「真の資質」『政治家の見極め方』御厨貴著(NHK出版新書)

「英米をモデルに日本に導入された小選挙区制がうまく機能しなかった理由は、非常にはっきりしています。日本の場合、国政選挙の公認候補は現職優先を基本にトップダウン方式で決められますが、英米では立候補予定者が『自分はこういう政治をやりたい』というマニフェストを引っ提げて、政党支部のオーディションに臨みます。それも一人ではなく地域のタウンミーティングから2、3人は出てきます。つまり横丁のうるさ型の人と政策論議を重ね、まず小さな集会で言論によって周りを説得する技術を磨いていくのです。

 オーディションでも厳しい競争をくぐりぬけ、太鼓判を押された人物が、晴れて唯一の党公認候補者になることができます。が、候補者になったらなったで、相手陣営の強力な候補者と一戦交えなくてはならない。つねに戦いの場に置かれているわけです。

 政治におけるさまざまな局面をみんながウォッチしていて、党の候補者として見劣りすれば、次の選挙では無情にも取り換えられる。小選挙区制とは、もともとはそういうシビアな制度なのです」(『政治家の見極め方』)

 日本の小選挙区の候補者は、うるさ型から厳しく選別される場がそもそもなく、派閥内の競争や親分からの厳しい指導からも逃れることになった。そして、政権政党の選択の比重が高い小選挙区制では、その政治家の信条や人物や能力よりも、選挙の顔として魅力的な党首選択に一喜一憂するデマゴーグもどきの集団となってしまったのである。これは個人の問題ではなく、システムの問題である。

情熱、責任感、判断力が
政治家に必要な「3要素」

 では、本来の政治家はいかにあるべきか。ヴェーバーは3つの資質を挙げる。

「政治家にとっては、情熱、責任感、判断力の三つの資質が特に重要であるといえよう」(『職業としての政治』)

 まず、情熱である。

「情熱とは、事柄に即すると言う意味での情熱、つまり『事柄(仕事、問題、対象、現実)』への情熱的献身、その事柄を司っている神ないしデーモンへの情熱的献身のことである」(『職業としての政治』)