ホームセンター(HC)の老舗であるドイトが、ドン・キホーテのグループ会社となってから、はや2年半が過ぎようとしている。今年5月18日に社長に就任した宮田信明氏は、同じくグループ会社の長崎屋の立て直しを図ってきた経歴を持つ。業態転換や閉店でスリム化したドイトをどのようにとらえ、変えていこうとしているのか。
ドイトの店舗数はもう減らさない
宮田信明(みやた・のぶあき) 1965年生まれ。1989年株式会社クルーズ入社。1997年株式会社ドン・キホーテ入社。2009年5月18日ドイト株式会社代表取締役社長。デイ・アイ・ワイ・プロモーション株式会社代表取締役社長に就任。 |
──43歳での社長就任ということで、業界では非常に注目されている。まず、社長就任までの経歴を伺いたい。
宮田 ドン・キホーテ入社は1997年。最初はスタッフとして働き、歌舞伎町の「ドン・キホーテ新宿店」の立ち上げに携わった。「小金井公園店」の店長などを務めた後、第1営業本部に移り、西東京と神奈川エリアの管理責任者となった。そして、東海エリアで新規出店が決まり、名古屋1号店の立ち上げに携わるなど、東海・北陸支社長をしていた。2007年にはM&A(合併・買収)によって、専務として長崎屋に移り、業態転換1号店の「メガ・ドンキホーテ四街道店」などを立ち上げてきた。
──新たなエリア開拓や、長崎屋の業態転換など、ドン・キホーテのDNAを導入する役割は大変だったと想像する。
宮田 とくに総合スーパー(GMS)はすべてが失敗している業態。しかしそのエッセンスを生かしながら、ドン・キホーテ流をどう導入していくのか、トップの安田隆夫会長兼CEOと相談し、チャレンジ&エラーをしながら取り組んできた。
──長崎屋というGMSでの経験の中で印象に残っていることは。
宮田 良くも悪くもドン・キホーテは異質であるということを実感した。ドン・キホーテでは当たり前のことなのだが、長崎屋では現場の権限を重視して、実績を上回ろうという考えはまったくなかった。横の連携がほとんどなく、自分の担当外の仕事はまったく知らないという状況だった。一時期はドン・キホーテもそうだったが、売上だけを優先し、利益を確保しようという概念がなかった。利益の確保を共通認識として持たせるために、大変苦労した。
──ドイトもホームセンターの老舗だ。
宮田 2007年にドン・キホーテの子会社となってから、利益を確保できない店舗は業態転換や閉店をしてきた。その事実を社員がきちんと理解しており、いい方向に変化している。個店として利益を生み出せる店舗だけが残っており、今後さらに減るということはないだろう。