原典の1箇所目からはだいぶ離れたところに記載されているこの2カ所目には、

<(ア)学年ごとに配当されている漢字は,児童の学習負担に配慮しつつ,必要に応じて,当該学年以前の学年又は当該学年以降の学年において指導することもできること。
(イ)当該学年より後の学年に配当されている漢字及びそれ以外の漢字については,振り仮名を付けるなど,児童の学習負担に配慮しつつ提示することができること。 >

 とある。つまり「2年生に1、3年生の漢字を指導してもOK。習っていない漢字は振り仮名を付けるなどしましょう」とのことで、結論として「学習指導要領」は習っていない漢字の使用を禁止していないのである。
 
 にもかかわらず、禁止する先生がいるのはなぜか。現場で続けられる慣習を踏襲している先生や、前段の“おのおのの理由”に基づき、そうしている先生もいるであろう。そして私見ながら、「学習指導要領」がわかりにくすぎて先生たちに内容がきちんと伝わっていないのではないか……などとも思えたのであった。

親の反応・子どもの反応
“使用禁止”の今後の見通しは

 一方、親の声はどうか。疑問を唱える人たちの大意は主に二つで、「正しいことを書いてなぜ間違いなのか」「子どもの向上心の芽を摘むな」である。
 
 ルールを容認する親ももちろんいるが、特に中学受験を控えた親は「『そのルール内で得点すべし』というなら、受験のトレーニングとして便宜的に従おう」というスタンスを最終的に取る傾向があるようだ。
 
 子どもの声も集めてみたところ、また聞きだが、「変なの。でも仕方ないから従う」や、恬淡(てんたん)と「そう、了解」と理解を示す様子である。立場的に納得していなくても、従わなければ前に進めない子どももいるのであろうと推測される。
 
 教育の現場における指導は、絶対的正解が用意できるほどおそらく単純ではない。その場その場で最善を尽くすべく、教育関係者一同が血道をあげている。“習っていない漢字禁止”もそうした中で選択された答えの一つなのであろう。しかし、このルールの論拠を調べてみて、その正当性が担保されるほどのメリットはないように個人的には感じた。
 
 子どもの自主性や可能性がより着目されるようになった現代において、“習っていない漢字禁止”はいささか前時代的な印象があり、時勢にそぐわないようなもどかしさがある。だからこそ、今こうして議論が巻き起こっているのではあるまいか。だとすれば、“習っていない漢字使用禁止”は近年新たな局面を迎えるかもしれない。