私が考える打倒・青学の条件は、以下の三つだ。

 その1:大学の規模と力
 その2:選手個々の自己コントロール能力
 その3:変化する社会の価値観に対応できる柔軟で強靭な指導者

 16人ものハイレベルの選手をそろえるためには、それなりの規模が必要だ。そして、それだけの可能性を持つ選手が毎年10名規模で「入学する気になる」大学が、打倒・青学の条件を満たせると言えないだろうか。

 今年も20の大学が、さも公平な勝負を展開したように見えるが、各チームの環境はさまざまだ。入学の条件、特待生の数、合宿所の施設、予算などの条件が全く異なっている。

 大学の規模だけを比較しても、面白い現実が見えてくる。例えば学生数。青学は約2万人(大学院生を含む)。帝京大は約2万3000人。早稲田大は約5万人。一方、東京国際大は6000人強、山梨学院大は約4000人、中央学院大は3000人強。大学の規模があまりにも違う。駅伝メンバーは16人いればOKだから、学生数イコール駅伝の強さとはならないが、条件その2を考えると、大学の規模や社会的評価はやはり大きく影響するのではないだろうか。

 今年の大会、テレビ観戦した多くの目撃者たちがつぶやいているように、青学の勝利はただ「速い、強い、練習量が豊富」といった身体能力や猛練習の成果だけでなく、「選手自身のマネジメント能力」「自己コントロールやコンディショニング能力」を感じさせる勝利だった。

 長距離レースはメンタル、そして知的な要素が大きい。これまでのスポーツ界では案外軽視されがちな側面がクローズアップされ、認識されたと思う。それこそが、脱パワハラ、高圧的な指導が排除され、個々の主体性が尊重されるこれからのスポーツに求められる姿勢であり魅力だろう。

 そのような、自己開発力があり、自らを律し、また叱咤(しった)もできる主体性を持った知的でたくましい長距離ランナーを最低10人集めるとなると、そうした人材が「志願する気になる大学」ということになる。学力の高さは、「自己開発・自己コントロール能力」とイコールではないが、関係が深い。スポーツの中でも、陸上の長距離出身者やラグビー部出身者は企業のトップになる人、政界、財界などで活躍する人材が多いことで知られる。今後改めて、そのような側面が際立ってくるのではないかと感じるし、そうなることが駅伝の魅力を深める要素にもなるだろう。

 平たく言えば、「駅伝オンリー」「強くなれればいい」だけのチームでは、それだけのクオリティーを持った走者を集めることは難しいだろう。「体力勝負」「猛練習が生きる道」となるとどうしても「厳しくやらせるタイプの指導者に依存する傾向」にならざるを得ない。しかし、パワハラに対する世間のまなざしがいっそう厳しくなる中で、そのタイプはもう生き残れない。