オイルショックにより
高度経済成長が終焉

 50年前にあたる1972年はどうだろうか。1960年代に始まる高度成長は、1970年の景気後退や1971年のドルショックを乗り越え、1972年に田中角栄が発表した「日本列島改造論」ブームによってさらに続くと考えられていた。

 それを象徴するのが新幹線網の整備拡張だ。1972年には東海道新幹線以降初の路線となる山陽新幹線(新大阪~岡山間)が開業。1970年に成立した全国新幹線鉄道整備法(全幹法)は東北新幹線、上越新幹線など今後整備すべき路線の基本計画を策定し、1973年に前記2路線に加え、成田新幹線、北海道新幹線、北陸新幹線、九州新幹線の整備計画を決定した。

 ところが1973年のオイルショックにより高度経済成長は終焉(しゅうえん)を迎え、交通網の整備にも急ブレーキがかかる。既に着工していた東北新幹線・上越新幹線は(こちらもちょうど40年前にあたる)1982年に暫定開業するが、成田新幹線は地元の反対で中止に。それ以外の路線は整備が大幅に遅れ、「整備新幹線」として現在に至るまで少しずつ工事が進められている。1972年とは、高度経済成長と以後の分水嶺となる年であった。

 この他、30年前の1992年には東海道新幹線に「のぞみ」がデビューし、それまでの最高速度である時速220キロが時速270キロに引き上げられ、所要時間も東京~新大阪間が、2時間56分から2時間30分まで短縮。朝6時の始発列車に乗車すれば、新大阪に8時半に到着できるというのが売りだった。

 当初は朝晩の2往復のみの運転だった「のぞみ」だが、現在は最大1時間12本の運転が可能になり、運転開始当時から停車駅が増えたにもかかわらず、全ての列車が東京~新大阪間を2時間30分以下で運転されている。

 1992年は「ひかり」から「のぞみ」へ、東海道新幹線が変容する転機となる年だった。「のぞみ」から「リニア」へと転換する日は来るのだろうか。

 100年、50年、30年を振り返ると、それぞれの時代に大きな歴史の転機があったことが見えてくる。もちろん100年、50年という括りは便宜上のものに過ぎず、実際は毎年のように、その時は気付かない大きな変化が起きているのだ。果たして2022年はどのように歴史に刻まれる1年になるのだろうか。