高齢者の心の内を推測してみよう。「世間では、高齢になったら債券や預金のような安全な資産の比率を増やした方がいいと言われている。確かに、高齢になってから株式のようなリスク資産をたくさん持って、株価の暴落のような事態に直面するとどうだろう。後で損を取り返す時間が少ないし、気持ちの上でも悔しいまま人生を終える可能性があるのではないか」といった心境なのではないか。

 しかし、「気持ちはもっともだ」と理解できるとしても、「もっともだ」と思う気持ちに従うことが正解でない場合は世の中に少なくない。筆者が思うに、読者の親御さんの資産運用はそのような性質の問題だ。

 仮にバフェット氏の運用方法が「最も効率的」なら、資産の額が違うとしても、読者の親御さんの資産運用も同様の方法でいいのではないだろうか。読者の親御さんとバフェット氏の運用を別のものだと考える必要はない。「一番いい運用方法」がはっきりしているなら、読者の親御さんの資産運用もバフェット氏の資産運用も同じでいい理屈だ。

子どもにとっての「親のお金」
親子の家計は“連結”している

 一方、子どもにとって「親のお金」はどのような存在だろうか。

 改めて考えてみると、「親のお金は大事だ」と思う子どもが多いのではないか。率直に言って、親がお金を残して亡くなった場合、相続によって何がしかは子どものお金になる。

 また、逆に親の老後のお金が足りなくなった場合に、子どもに経済的な負担が生じる場合があり得る。個々の親子の人間関係にもよるが、実質的に親子の家計は「連結」している場合が多いのではないか。

 また、過去20年以上に及ぶ日本の賃金の低迷を思うと、親ほどの生涯収入を得られない子ども世代が少なくないだろうし、親は長く生きている分お金を貯めている。子どもの金融資産よりも、親の金融資産の方が大きい場合が少なくないのではないか。親の資産運用の成否はそれ自体として大きな問題だ。