「暗黙知」という言葉はすでに日本語として普通に使われている。現場の人が日々の仕事の中で蓄積してきた熟練の技やノウハウなどの「暗黙知」を「形式知化」、すなわち、数値化したり言語化したりなどしてマニュアル化することで、社内で共有したり、継承されやすくする、などという使い方がビジネスの世界では一般的だろう。

こうした「暗黙知の形式化」の効用は大きい。しかし、『暗黙知の次元』を表したマイケル・ポランニーがその著書で意図していた「暗黙知」(tacit knowing)はこのようなビジネスにおける用法とは異なる意味である。アカデミックな文脈では、そちらの意味で使われているということは意外に知られていないかもしれない。

そもそも暗黙知という訳語は、静的な、すでに練り上げられ固まったものという状態をイメージしがちだが、原語ではknowing、つまり知ることという動名詞であり、動的な運動、活動を含意している。ポランニーが「tacit knowing」として提示した生物の知の運動は、AI時代、SDGsの時代に、新しい社会を切り拓くことにもつながる非常に射程の広い概念である。今回は『暗黙知の次元』を読み解きながら、「tacit knowing」の本来の意味における働きに注目してみたい。

ビジネスとアカデミズムで異なる
「暗黙知」の意味とは

我々が気づかない、「暗黙知」が人間社会を激変させる時代の到来『暗黙知の次元』(ちくま学芸文庫)
マイケル・ポランニー著

「暗黙知」には、現在流通している言葉の意味として2通りある。

 1つは「言語化しにくいがすでに存在している非明示化知識」で、言葉にできない勘やノウハウ、さじ加減などの技術。もう1つは「知識が表出化される際に、暗黙裡に働いているものの自覚化できておらず、言語化することができないプロセスや方法」のこと。何かを理解したり感じたりするときに、無意識のうちに自分の内部で行われている知的な運動とでも言えばいいだろうか。

 現状では、前者はビジネス界で、後者はアカデミズムの世界で使われている。文章や会話では、この2つのどちらの意味で使っているのかについて自覚的であったほうが誤解を避けられるし、それを明確にするだけで、相手からの信頼度は大きく上がるだろう。

 なお、言葉の元の意味は、本書でマイケル・ポランニーが提示した後者の暗黙的知識創出プロセスであり、ビジネス界で使われる意味は派生的なものである。したがって、ここでは暗黙知をもともとの後者の意味で使うこととする。