同時代のストア哲学といえば、キケロ、セネカ、マルクス・アウレリウスといった名前が浮かんでくるが、こうした系譜の中核にいるのが、エピクテトスという奴隷出身の哲学者なのである。彼は紀元50~60年頃に、奴隷の両親から生まれた苦労人で、彼自身も若い頃は奴隷として過ごし、解放された後は私塾を開いて生計を立てた(エピクテトスの生涯と著作については24~30ページの解説を参照)。

 解放奴隷出身の哲学者とは、哲学史上でも珍しい。エピクテトスの一生は、いわゆる「学者」でも、ましてや「エリート」でもない。奴隷としての出自、慢性的な肢体(したい)不自由、国外追放の辛酸、塾講師としての不安定な収入、といった多くの困難を抱えながら、当時の流行思想でもあったストア派の哲学を自分自身の「生き方」として学び取り、それを洗練させていった。

 地位や財産や権力とは無縁な、ごく平凡な市井(しせい)の庶民が、いかにして真の自由を享受し、幸福な生活にあずかることができるのか。そのためにいかなる知恵が大切なのか――。「隷属と自由」という彼自身の課題は、そのまま現代人の生活の場面にまでつながっている。

 エピクテトスは、ソクラテスやプラトン、あるいはマルクス・アウレリウスといった哲学者に較(くら)べると、わが国の読者にはさほど馴染みがないかもしれない。

 だが古代から現代に至るまで、多くの哲学者・宗教家・文学者に影響を与えたことは紛(まぎ)れもない事実である。また現在でも、欧米では哲学者のみならず、政界や実業界の著名人を含めて、エピクテトスを愛読し、彼の残した言葉を人生の指針としている例は数え切れない。エピクテトスの思想には、このように時代を超えた普遍的な魅力があるのだ。

 彼の言葉には、現代人のみならず、およそ人間につきまとう共通の悩みや不安を一変させるような起爆力が秘められている。「哲学」というと、近現代ドイツ哲学のように、抽象的で難解な漢語が散りばめられて近寄りがたい、しかもそれが一体何の役に立つのかさっぱりわからない、というイメージを持つ人もいるだろう。しかしエピクテトスの語り方は、それとはまったく対照的である。

 生徒に対して噛んで含める教師のように、ありふれた生活の中から多くの例を挙げながら、しかも常識とはまったく違ったものの見方、欲望のあり方、対人関係の理解を我々に突きつけてみせる。