8年前のマイダン革命(親ロ的な政治姿勢のヤヌコビッチ政権を打倒した市民の抗議活動)時、連日の取材に協力してくれたタチャーナ・オリニークさんは、マイダン革命からしばらくしてキエフを離れ、西部のリビウでスタートアップの会社を立ち上げ、その間にイギリスに1年間留学している。数年前にキエフに戻ったオリニークさんは政府組織に勤務している。19日、キエフのアパートでくつろぐオリニークさんとビデオチャットで話をした際、筆者は聞いてみたいことがいくつもあった。

「キエフだって、安全が保障されているわけではない。普段はどのような生活をしているのか」という筆者の問いに、オルニークさんは「ほとんど、いつも通りの生活ですよ」と答えた。

「平日の仕事はコロナの影響もあってテレワークで行うこともあり、それ以外はスーパーマーケットに買い出しに行ったり、ストリーミングで映画を見たりする生活スタイルになっていますね。昨日は村上春樹原作の映画『ドライブ・マイ・カー』をストリーミングで楽しみました。友人や知人にも会います。非常時にどう行動するかは、近くの地下鉄駅をシェルターとして使おうと考えているくらいです」

 キエフから離れることは考えていないと話すのは、オリニークさんだけではない。キエフの英語メディア「キエフ・インデペンデント」で記者として働く寺島朝海さんは、「記者としてできることは、最後までやりたい。実際にロシア軍がキエフまで侵攻したとしても、私は車も自転車すらも持っていないので、まだどのようにキエフから出ていくのか、真剣にシミュレートしたことがないんです」と語る。

 大阪で生まれ、10歳の時に両親の仕事の関係でキエフに移り住んだ寺島さんは、まだ21歳。駆け出しの記者だが、8年前のマイダン革命ではまだ13歳だった。可能な限り今のキエフの様子を記録し続けたいのだという。

「戦争」や「軍事侵攻」という言葉とマッチングしない雰囲気すらある現在のキエフだが、各国の大使館は職員をキエフから退避させ、多くが西部の都市リビウに臨時の事務所を開設している。

 アメリカのブリンケン国務長官は14日、キエフのアメリカ大使館を暫定的に閉鎖し、残っていた少数の職員をリビウに避難させると発表した。また、23日にはキエフのロシア大使館で国旗が降ろされた。複数のメディアは職員の退避が本格的に始まったと伝えている。

 17日朝にはロシア大使館の煙突から煙が上がる様子が近くを通った市民らによって目撃されていたが、ロシアの国営タス通信は23日に関係者の話として、大使館閉鎖前に書類の焼却が行われていたと報じている。