「のぞみ」の構想は国鉄時代にさかのぼる。例えば1981年5月に発行された鉄道技術研究誌『交通技術』には、「在来新幹線用高速車両の構想」として、東海道新幹線を時速260キロで走行し、最大45分短縮(2時間25分)する研究が紹介されている。

『東海旅客鉄道20年史』によると、「のぞみ」誕生に直接つながる検討はJR発足直後の1988年1月、東海道新幹線時速270キロ化の早期実現に向けた「東海道新幹線速度向上プロジェクト委員会」から始まるという。

 このプロジェクトは対航空機を念頭に東京~新大阪間を2時間30分で結ぶという目的があり、そのために時速270キロを達成するというもので、時間短縮効果を利用者に実感してもらうために、段階的な速度アップではなく一挙に20~30分短縮しようという意欲的な挑戦だった。

 同年9月にこの条件を満たす「300系」車両の製作と地上設備の改良が決定した。「300系」は従来の鋼鉄製の車体をアルミ合金製に改め、軽量なボルスタレス台車を採用した。またモーターはVVVF制御による交流誘導電動機を採用し、従来の直流電動機から軽量化を図った。その結果「100系」車両と比較して約25%の軽量化を実現した。

 これほどまでの軽量化が必要だったのは、最高速度を時速220キロから270キロに引き上げるにあたって、軌道や電気設備への過負荷や、騒音や振動など沿線環境の悪化を防ぐ必要があり、そのためには車両の大幅な軽量化が不可欠だったからだ。

 あわせて地上設備も時速270キロ運転に対応したものに更新する必要があった。鉄道のカーブには、車両にかかる遠心力を低減するために「カント」と呼ばれる左右レールの高低差が設けられているが、車両の走行安定性を向上させ、乗り心地の悪化を防ぐため、全路線の約23%、曲線部の約55%にあたる240キロで増量した。

 速度が上がるほど架線から電気を取り入れるパンタグラフの役割も重要になる。揺れや衝撃でパンタグラフが架線から離れるとスパークが発生し、最悪の場合は架線が焼き切れてしまうのだ。

 またパンタグラフは風切り音や架線と擦れる音、上述のスパーク音などさまざまな騒音の発生源にもなる。