騒音には様々な種類があるが、高速走行時に特に重要なのが、速度の6乗に比例して増加する空力音だ。これら問題はパンタグラフがあればあるほど発生しやすくなるため、パンタグラフの数を削減するのが有効だが、設計が古い東海道新幹線の電気設備では技術上の制約で困難だった。これを改良するための工事は国鉄時代から進められてきたが、「のぞみ」が運転を開始する前年の1991年にようやく工事が完了。

 この結果、従来の「100系」車両では6基設置されていたパンタグラフを、「300系」車両は2基まで減らすことができた。加えて2つのパンタグラフを高圧線でつなぎ、一方のパンタグラフが離線してもスパークが起きにくい仕組みを導入。加えてパンタグラフの台座にカバーを付けて風切り音の低減を図った。

 このように、時速270キロで走行可能な「300系」をただ投入するだけでは、「のぞみ」は生まれなかった。軌道や電気など走らせるための受け皿が必要で、かつ「300系」はそれを前提としたさまざまな技術が導入されていたのである。

新幹線の歴史において
のぞみが果たした役割

 そうして運行を開始した「のぞみ」であるが、1992年3月のダイヤ改正時点では車両編成数の都合で早朝と深夜に2往復4本のみの運転だった。

 ただこれは少ない運行本数を最大限に生かす戦略的な設定で、早朝6時の始発便に乗れば東京発新大阪着が8時30分、新大阪発東京着が8時42分となり、9時からの会議に出席できるというのがウリだった。深夜も同様に21時過ぎに出発し24時前に到着する設定で、日帰り出張の滞在時間を大幅に伸ばしたのである。

 その後、1993年に「のぞみ」は山陽新幹線内でも運行を開始し、以後のダイヤ改正ごとに増便されていった。そして2003年に「100系」車両が引退し、全ての車両で時速270キロ運転が可能になると、従来の「ひかり」を中心としたダイヤから「のぞみ」主体のダイヤへと抜本的な改正を行った。

 2003年当時、1時間当たりの「のぞみ」運行本数は最大7本だったが、2020年3月の改正で最大12本の運行が可能になった(『「のぞみ」本数2割増は本当に難題だった!ダイヤ担当者に聞く舞台裏』参照)。またさらなる速度向上が行われ、停車駅が増えたにもかかわらず所要時間は 2時間21分まで短縮している。この過程で初代「300系」車両は2012年までに全編成が引退した。