80年前の日本は今のロシア
わかりきった敗戦に既視感

 今からおよそ80年前、日本はABCD包囲網という厳しい経済制裁を受けて、中国大陸で進めている軍事侵攻をすぐにやめて撤退しろと国際社会から迫られていた。現在もそうだが、日本は資源などで海外にガッツリ依存をしているので、一般市民の痛みはすぐにやってきた。今のロシア国内同様に物資不足で、店には大行列ができた。

 では、そこで軍や政府、あるいは国家元首である天皇を突きあげて、「戦争をやめるべきだ」という世論が盛り上がったのかというとご存じのように、そんなことにはなっていない。むしろ、「米英の嫌がらせに屈するな」の大合唱だった。

「それは軍部が怖かったから」とすぐに言い訳をする人もいるが、当時の資料などを見れば、ほとんどの日本国民が日米開戦を強く望んでいたことがわかっている。真珠湾攻撃をした時などはサッカーのワールドカップで優勝したくらいの国をあげてのお祭り騒ぎだった。

 この日本の「決断」に欧米諸国はドン引きをした。現在、プーチン大統領が西側メディから「狂っている」「まともな精神状態ではない」などと盛んに報じられているが、当時の日本も同じような目で見られていた。

 石油産出量や鉄鋼の生産などで、日本とアメリカには圧倒的な差があり、客観的に国力を見れば日本の敗戦はわかりきっていたからだ。日本のエリートたちが集結した、陸海軍、政府の調査チームの結論でも「日本必敗」という結果が出ていた。

 しかし、日本はさらに仏印へ侵攻していくだけではなく、アメリカに先制攻撃を仕掛けた。資源のない国だから経済制裁で締め上げれば、中国から撤退するだろと西側が見方を強めれば強めるほど、軍事侵攻にのめり込んでいった。完全に今のロシアと同じことをやっていた。

 つまり、軍事侵攻をやめさせるはずの「経済制裁」が、日本の態度をより硬化させて戦争にのめりこませる、という皮肉な結果を招いてしまっているのだ。