こうして偏差値による大学の序列化が進み、就職人気の高い大手企業は、偏差値の高い一部の大学からしか採用を行なわなくなっていったのです。こうして偏差値による大学の序列化が完成しました。

 その後も、企業によっては、役職定年制度を設けたり、専門職制度を導入したりして、懸命に中高年人件費の上昇と中高年社員へのポスト不足と戦ってきました。

「成果主義」の導入が
賃金の低下を招いた

 そして、90年代から2000年代にかけては、「成果主義」の導入が試みられました。アメリカ型の成果主義の人事評価制度の導入により、人件費をコントロールしようとしたのです。

 年功賃金は、できる人もできない人も年齢によって同じ給与を取るという悪平等で、かえってできる社員のモチベーションを下げてしまう制度でした。そこで、社員個人の実績に基づいて評価を行ない、生産性の高いできる人には高い賃金を支払うというお題目が唱えられたのです。

 しかし、実際に起こったのは、一人あたり賃金の低下でした。

 実績の高い社員が少なかったとも言えますが、はじめから企業の目論見が人件費の削減でしたから、それが実現されただけとも言えます。そして起こったのは、中高年社員のモチベーションの低下でした。

 そのうえ、成果主義が強調されすぎた結果、日本企業組織の利点とされてきたチームワークが悪化しました。年功的処遇の下で、同僚と協力してきた社員は、個人の実績を上げるために同僚をライバルと見るようになってしまったのです。

 管理職は、プレーイング・マネジャーとなり、自らの目標を与えられるようになったために、部下の育成をおろそかにするようになりました。

 企業として、人件費の削減による収益改善には成功したのですが、中高年社員のモチベーションの低下を招き付加価値総額の低迷を断ち切ることはできませんでした。

※次回、最終回(3月24日公開予定)はいよいよジョブ型雇用へ舵を切り出した日本企業の動きについて解説します。