子どもの頃から歌が大好きだったCさんは、若くして歌手デビューしましたが、ヒットが出せず、30代を過ぎて引退しました。

Cさんが数字に強いことを知っていた所属事務所のスタッフに勧められて、事務所の経理をやるようになり、経理担当者として手腕を発揮するようになりました。

この場合、私天命は「歌うこと」で、公天命は「お金の管理をすること」です。

Cさんにとって、経理は「やりたいこと」ではなかったけれど、「周囲から求められ、やってみたら上手にできたこと」、つまり公天命でした。

公天命を生き始めると、人生が発展していきます。Cさんがこのあとも自分を成長させつつ公天命に取り組んでいけば、ますます活躍し、いずれは経営に携わったり、新たに別会社を立ち上げたりすることができるかもしれません。

引退したスポーツ選手が起業して成功したり、監督やコメンテーターとして活躍したりすることがありますが、これも人生の前半では私天命を生き、後半から公天命を生きる例です。

若いうちは、自分のやりたいことである私天命を追究することが重要です。

Cさんのように、私天命を生きているうちに自然に別の公天命にシフトしていくパターンはよくあることです。

あまりにも私天命にこだわりすぎると、社会からの要請である公天命を生きにくくなる可能性があります。すると、生まれもった能力を発揮できず、社会に貢献するチャンスを逃しかねません。たとえば、Cさんが歌うことにこだわって引退しなかったとしたら、公天命を生きる機会を逸していたかもしれません。

自分のやりたいことや好きなことだけが「天命」だと思い込んで追いかけるうちに、公天命を見逃してしまうことがあるのです。

もちろん、私天命と公天命が重なるという人もいます。

幼い頃から頭角を現すアーティストや、若くして起業し、世界的な企業に育て上げる起業家、あるいは子どもの頃から特定の職業に憧れて、実際にその仕事につく人たちのことです。

彼らのように自分のやりたいことで実績を出し、私天命と公天命が重なるのなら、それがベストです。

しかし、すべての人がそうとは限らないのです。

好きなこと(私天命)を生涯の仕事にするという考え方が、決して間違っているわけではありません。しかし、単に目の前の仕事から逃げたいがために天命探しを隠れ蓑にしてまうと、本当の天命を生きる機会や成功が遠のく場合があります。

自分の年齢に合わせて、周囲が自分に何を求めているのか、どんなオファーがあるのかを意識することが、生まれもった才能や自分らしさを生かせる道につながるケースもあるのです。

たとえば、自分では望まない仕事だったとしても、やってみたらたくさんの人から感謝され周囲に貢献できたとしたら、自信とやりがいが生まれます。

その喜びと発見は、与えられた場で一生懸命やってみることでしか得られません。

ですから、年齢に応じて私天命と公天命のバランスをとり、優先度を意識しながら進んでいくことが重要なのです。

遠くにある「天命」を探すのではなく、自分のライフステージに合わせて私天命と公天命を意識していきましょう。