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人生100年時代が現実化している

 トップの強い意志とリーダーシップなくしては、ダイバーシティ&インクルージョンは実現しないのですね。多様性の議論で置き去りにされがちなのが高齢者です。日本は、65歳以上の人口の割合が全人口の21%を占める超高齢社会に世界で最初に突入した国です。

湊:少子高齢化といわれますが、少子化と高齢化は種類の異なる問題です。少子化は、フランスが一人の女性が生涯に産む子どもの数を示す合計特殊出生率を政策によって引き上げたように、コントロール可能です。一方、高齢化は自然現象であり、コントロールできません。

 もちろん、老化に伴う病気は医療によって治療したり緩和したりすることは可能です。しかし、病気ではない弱体化という意味での老化、つまり「フレイル」は介護の対象にはなりますが、医療の対象になりうるか否か、対象になった場合に治療に格差が生じるのではないかといった問題が未解決です。

 人生100年時代は、早晩実現するでしょう。ここでも準備を始めるべきです。これまでのライフステージは、教育、就業(雇用)、退職後の3つでした。しかも日本の場合、ハードストップ、つまり年齢的に非常に厳格であると言うと大げさでしょうか、学校を卒業すると就職、60歳か65歳で定年を迎えると引退といったパターンが世の習いでした。ですが、世界的には年齢差別だと言われかねません。

 実際、寿命が伸びて、老年人口が増え続けることによる年金受給の問題などもあり、このようなパターンは見直さざるをえなくなっています。ですが、引退後も働かなければならない、したがって、再雇用や定年延長などといった施策は短期的な弥縫策でしかありません。

 2000年以降生まれた人の半分が100歳以上生きることが予測されています。その蓋然性(がいぜんせい)が高いとすると、企業で働いている人の場合、大学教育をベースに入社後身につけてきた特定の業界や組織でしか通用しない知識、スキルや能力で何とか定年まで働いてきたわけですが、今後はそうはいかないかもしれません。

 寿命が伸びたことで、アメリカのように、時間や年齢に縛られないソフトストップに向かっていくのは必至でしょう。定年で引退するという社会的慣習ではなく、もっと自由に第二の人生を考え、始められる社会が求められていくのではないでしょうか。

 当座は、リスキリングもリカレント教育も必要であり、こうしたトレーニングを受けたシニア層を受け入れる社会的な寛容性を醸成していくことが重要でしょう。ですから、思い立ったらいつでも大学などに入学できる、失敗しても何度もやり直せるといったフレキシブルな社会を整備していくべきでしょう。ですから、そのための社会コンセンサスづくりも必要でしょうね。