表現を変えていたら
不祥事は問題にならなかったのか?

 では、3番目の問題はどうでしょうか? 呼び方が「“女性エントリーユーザーを吉野家ファンにする戦略”という表現だったら、今回の不祥事は問題にはならない」でよかったのか?という問題です。

「生娘」といういかにも時代錯誤で差別的な表現がアウトで、ここは「女性エントリーユーザー」というべき。また、「シャブ漬け」という表現は犯罪を想起させる完全にアウトな表現で、ここは「ファンにする」という表現が正しい。これはまずもって安全な話法です。

 プロのマーケッターが早稲田の社会人講座で今回のような話をした事実から考察すれば、その背景には科学的な証拠として15歳から19歳の間であれば女性客は吉野家ファンになりやすい。これが20代になると格段に難しくなるといった事実があったのでしょう。

 たとえそれが事実でも、その事象を「おいしいものを男性におごってもらうようになった後では吉野家ファンにするのは困難だ」と説明するのは、ジェンダー問題上よくないという批判も見受けられました。

 その批判の意図は理解できます。しかし、仮に吉野家がマーケティング調査として20代女性を対象にしっかりとしたフォーカスインタビューを行ったところ、上記と同じ証言が有意な数得られたとしたらどうなのでしょうか? 外資系企業でマーケティングをたたき込まれたマーケッターなら、普通そこまでちゃんとやります。

 もし、それが事実だった場合にも社会人講座でそれを披露する際にはもっと穏当な表現に直す必要があるという主張もあるかもしれません。ただこの論点は、「たとえ表現を変えたとしても戦略として企業がやってもいいのかどうか」という問題を内包しています。