常に「銃」という恐怖がそばにある

 サンディフック小学校で男が銃を乱射し、児童20人が亡くなった事件が起きた10年前、2012年12月、私たちの上の子どもは7歳でした。彼は現在17歳。この1年は高校に入ってから初めて、全日程が対面授業になりました。1年生のときは新型コロナウイルス感染症の流行のために対面授業は少なくなり、2年生のときは完全にZoom授業でした。

 この「通常に戻った」の年の半ばに、2人の生徒が学校のトイレで銃を所持していることが発覚しました。日本語の授業を受けていた長男はそのまま待機させられ、そこで恐怖の2時間を過ごしました。その間彼は、母親と私(父親)に頻繁にメールを送ってきましたが、2時間がまるで何日間…いや何年間かのように長く感じられました。危険がないと判断されるまで、私たちは外で待っていたのです。そしてようやく出てきたとき、私たちは彼を力いっぱい抱きしめました。

銃乱射事件が多発する国、アメリカ

 2012年のサンディフック小学校と、先月起きたユヴァルディでの2つの事件の間の10年間には、私が記憶している以上に多くの学校銃乱射事件がありました。つまり、子どもたちが銃弾の被害者になることに対して、少しのことでは驚かなくなってしまっている…というのが現在の実情なのです。

 コロンバイン、サンディフック、パークランド、ユヴァルディ…。このように世界的な報道がなされた大きな事件は、誰もが記憶に残ることだと思います。が、そのほか、(前述の拳銃所持の発覚程度の)多くの事件は、ほとんど知られることなく見過ごされてしまうのです。それが子どもたちの身に降りかからない限りは…。しかしながら、それが降りかかってしまえば、もう取返しはできません。それは決して忘れられない、底なしの悲しみのどん底へと永遠に突き落とされてしまうのですから。

 こんな日々の過ごし方があっていいのでしょうか。悲しいですが現実として、それが私たちが今生きている社会なのです。すべての親は、最悪の宝くじを毎日引いているようなもの。そう、スロットマシーンのレバーを引いて大当たりが出てしまえば、下から血が噴き出るような…。

 ユヴァルディの親たちは先月、そのくじを当ててしまったのです。