そもそも東海道新幹線の最高速度時速210キロとは、東京~大阪間を3時間で結ぶためには時速200キロ運転(プラス10キロは余裕分)が必要という前提から組み立てられたものだ(余談だがリニア中央新幹線の最高速度が時速550キロなのも、東京~大阪間を1時間で結ぶという目標からの逆算だ)。

 1955年にフランス国鉄が電気機関車の試験走行で時速330キロを達成しているように、当時の最先端技術を追求すれば、さらなる高速運転を狙うこともできたかもしれない。しかし、世界でも例を見ない高速鉄道を短期間で確実に開業させるためには、既に確立された技術を持ち寄って手堅くまとめる必要があった。つまり拡張性には乏しかったのである。

 そこで山陽新幹線技術基準委員会は1966年、東海道新幹線以降の技術の進歩を反映しつつ、急激に発展する航空機との競合など、さらなる未来を見据えた理想的な規格を決定。電気を供給する方式の変更、最小曲線半径の2500メートルから4000メートルへの緩和、レールをより規格の高い物に変えるなどの変更を加え、将来的な時速250キロ運転を目指すこととした。

 東北・上越新幹線を含む山陽新幹線以降の新幹線は、基本的には全てこの規格に沿って造られている。九州新幹線や北陸新幹線などのいわゆる「整備新幹線」も、この方針を踏まえて整備計画が決定されたため、最高速度は時速260キロで開業している。

 東海道新幹線と同じく最高速度時速210キロで開業した山陽新幹線であるが、国鉄は1969年に速度試験車両951形を製造し、1972年には最高速度時速286キロの日本記録(当時)を樹立するなどスピードアップに意欲的だった。

 ところが結論から言えば、1985年に東北新幹線が時速240キロ化されるまで新幹線のスピードアップは実現しなかった。目標とされた時速250キロ以上の実現は、1990年から1999年まで行われた上越新幹線上毛高原~浦佐駅間の下りトンネルの勾配を利用した限定的な時速275キロ運転を除けば、1992年の東海道新幹線300系車両「のぞみ」による時速270キロ運転まで、約30年を要することとなったのである。