全国新幹線網の計画が
オイルショックで暗転

 しかしその傍らで、新たな新幹線の構想は着々と具体化していった。1971年に東北新幹線(東京~盛岡間)、上越新幹線、成田新幹線の基本計画・整備計画が策定されると、1973年11月13日に東北新幹線(盛岡~青森間)、北海道新幹線、北陸新幹線、九州新幹線(博多~鹿児島間および博多~長崎間)の5路線(いわゆる「整備新幹線」)の整備計画が策定された。

 時の田中角栄内閣は、経営状況が悪化した国鉄に代わり、一部の路線を鉄道建設公団に担わせることで、できるだけ早く全国新幹線網を構築しようと考えた。ところが同年10月に勃発した第四次中東戦争が引き金となり、原油価格の大幅な引き上げによる「オイルショック」が発生すると計画は暗転する。

 政府は1973年11月16日に「総需要抑制策」を決定し、大型公共事業の凍結、縮小が進められた。東北・上越新幹線は既に着工していたが、難工事もあり開業は約10年後の1982年にずれ込んだ。その間にも国鉄の経営は悪化の一途をたどり、1982年9月に整備新幹線計画は凍結されることとなった。

 その後、分割民営化を経て、JR各社は航空機との競合を意識した高速化に本格的に着手する。また長らく中断していた整備新幹線の建設も北陸新幹線(長野新幹線)から再開。2002年には東北新幹線が開業から20年目にしてようやく盛岡から先に延伸し、整備新幹線建設が本格的に始まった。

 新幹線の歴史に大きな影響を及ぼした1972~1982年の10年間。停滞から再始動までの20年間。そして着々と整備が進むこの20年間。アニバーサリーイヤーとは単なる年数の積み重ねではなく、歴史を刻み込んだ年輪のようなものなのだろう。

 最後に個人的な話で恐縮だが、1982年に埼玉県大宮市(現さいたま市)で生まれた筆者としては、東北・上越新幹線はいわば幼なじみであり、いつも気になる存在だ。「不惑」を迎えて進化を続ける両新幹線を見習い、次の10年で「知命」を得られるよう、共に精進していきたいと思っている。