読書中の男性写真はイメージです Photo:PIXTA

1980年代、出版業界の売り上げはピークを迎え“出版バブル”と呼ばれた。そんな時代に売れに売れていた本や雑誌には、ある共通点が存在するという。文芸評論家の三宅香帆氏が、当時の人々の読書志向を解説する。※本稿は、三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社)の一部を抜粋・編集したものです。

80年代サラリーマンに
圧倒的支持を得た雑誌

 1970年代のサラリーマンたちの読書風景として象徴的だったのは、通勤電車で読む司馬遼太郎の文庫本だった。それは高度経済成長期を終え、徐々に「自助努力」が説かれつつあった企業文化の産物でもありながら、それでいて教養や修養を重視する勤勉なサラリーマン像の象徴だった。

 対して、80年代の出版バブルを支えていた存在。それは、雑誌であった。

 たとえば1980年(昭和55年)に創刊された雑誌「BIG tomorrow」(青春出版社)は、男性向け雑誌のなかで圧倒的な人気を博していた。

 同じビジネス雑誌ジャンルでも当時の「will」や「プレジデント」はエリート層サラリーマン向け雑誌だった(谷原吏「サラリーマン雑誌の〈中間性〉―1980年代における知の編成の変容」)。これらの雑誌の内容は「歴史上の偉人から教訓を学ぶ」教養重視。

 つまりは通勤電車で司馬遼太郎の小説を読み、登場人物の生き様から教訓(と朝礼の訓示のネタ)を得ようとするサラリーマン層の延長線上に位置する雑誌である。そこに知識人、教養人を目指すエリート的自意識を見出してもいいかもしれない。

 しかしそれよりも人気だったのが「BIG tomorrow」だった。

「BIG tomorrow」は、「職場の処世術」と「女性にモテる術」の2つの軸を中心にハウツーを伝える、若いサラリーマン向け雑誌である。この2つの軸を示すだけでも分かるとおり、この雑誌に教養主義的な側面はほとんどなく、すぐに使える具体的な知識を伝えることを重視する。そしてその知識は、読心術や心理話法といった、90年代的な「心理主義」に近いものである。

 司馬遼太郎の歴史小説から教訓を学ぶよりももっと即物的に、明日使える知識を伝える雑誌。それが「BIG tomorrow」のコンセプトだったのだ。