“夢の超特急”といわれて日本中の期待を背負い、東海道新幹線が東京―新大阪間で開業したのは1964年。以来、新幹線は常に進化を遂げてきました。鉄道アナリスト・川島令三氏の新刊書『思わず誰かに話したくなる鉄道なるほど雑学』の中から、新幹線の歴史にまつわるディープなうんちくをご紹介します。
東海道新幹線の線路を
阪急電車が走ったことがある
東海道新幹線は京都―新大阪間で阪急京都線と並行する。阪急京都線の大山崎駅から上牧駅の先までである。東海道新幹線ができる前、阪急京都線の同区間は地上にあった。東海道新幹線の高架ができると踏切の見通しが悪くなるので、阪急京都線も新幹線と同じ高さの盛土による高架にすることになった。
このとき仮線として、同じ標準軌の新幹線線路を使った。走行開始は昭和37(1962)年4月、終了は同年12月である。新幹線軌道を走りはじめた当初は時速30キロだったので、新幹線の線路だから高速で突っ走るだろうと期待していた乗客はがっかりしたものだった。盛土なので路盤が固まっておらず、当初は徐行運転をしていたからである。その後、70キロに引き上げたが、100キロで走ることはなかった。また、途中の上牧駅と水無瀬駅のホームは板張りの仮駅だった。
東海道新幹線は盛土区間が多く、開業時には大半はまだ路盤が固まっておらず、開業して1年間は160キロの“徐行運転”をして東京―新大阪間は4時間かかっていた。しかし、阪急が借用した区間では路盤が踏み固められていたために210キロ走行は可能だった。
かつての新京阪線(現阪急京都線)特急電車は国鉄の特急「燕」をこのあたりで追い抜いていたが、現在、この並行区間で京都線特急はあっという間に新幹線に追い抜かれている。その新幹線線路を阪急京都線の電車が走っていたのである。