現実はワンサイドゲーム、「分断」を感じている人は少数派?

 実は一般庶民の中では言うほど、「社会の分断」を感じている人は多くない。むしろ、かつてに比べると減っているという動かし難い事実があるのだ。

 という話をすると、「貴様の目は節穴か!国会前に来てみろ、反安倍政治の勢いはすごいことになっているぞ!」と怒る方たちが多くいらっしゃると思う。この問題のポイントはまさしくそこである。

 ちょっと厳しい言い方になってしまうが、「日本社会の分断」なるものは、「分断を深めるな!」と騒いでいる人たちの頭の中でしか起きていなかったということだ。

 たしかに、この20年、小泉政権や安倍政権に対して、批判的なイデオロギーを持つ人々の怒りはすさまじく深いものがある。近年では1年以上もモリカケだ、とマスコミと野党が大騒ぎをしたこともある。

 それでも、安倍政権の支持率はそれほど急落せずに、選挙でも勝利していた。この前のアメリカの大統領選のように僅差で競り合っていれば、「社会の分断」というのも納得だが、いつもワンサイドゲームだ。選挙制度や投票率の低下などの要素があるにしても、ここまで与党が票を集めている事実があって、「分断」もへったくれもない。

 結局のところ安倍政治が続いていたこの時期、我々の社会が深めていたのは、「分断」などといった大層なものではなく、「一部の人による安倍晋三という政治家への憎悪」だったのである。

 だからこそ、安倍元首相が分断を深めたとか、国葬にすると分断が深まるだなんだという「分断ガー」的な批判はよろしくないと思っている。

 もちろん、アベノミクスの効果やモリカケがどうした、という政治家としての功罪はしっかりと検証すべきだ。しかし、「分断」とやらはさきほども言ったように、アンチの人々の頭の中だけで起きているフィーリング的なことなので、建設的な議論にならず、単に故人へのヘイトをあおるだけだ。