この話題の中で出てきた、糸井さんが言うところの「FMしゃべり」とは、例えば「秋は気分がメランコリックになって、夏の恋の清算に思い悩んでいる」と決めつけてしまうような、聞き手を都合よく誘導していくような話し方なのだとか。

「それはそれで、違いますよー、糸井さん!」と全力で反論し、トークイベントは大いに盛り上がりました。糸井さんのイメージとしては、FMしゃべり=借りてきた定型文のような、話し手の実感がこもっていない台本のような言葉、とのこと。ううむ、立場的にしっかり誤解を解いておきたいお話です。

 FMのDJが定型文のような言葉を話しているとは思いませんが、「FMラジオのDJっぽさ」というある種の「型」はあると思います。例えば「大人の女性(男性)の落ち着いた艶っぽい声」「英語まじりで、独特の流れるようなリズムがあるおしゃれな話し方」というイメージでしょうか。

 子どもの頃から、トークは少なめ、大人の雰囲気たっぷりのジャズが流れる「これぞFMラジオ!」という番組ばかりを聞いてきた私は、おしゃれでキラキラした世界、いわゆる「FMしゃべり」に大いに憧れを抱いていました。頭に浮かべていたのは、大都会を見下ろす高層ビルのスタジオで、ワイングラスを回しながらしっとり話す美しい女性。

「いつか私もこんなカッコいい仕事をしたいなあ」と無邪気に夢見ていたものです。いやあ、理想をこれでもか!と大きく膨らませていた10代ですね。はい、若かったです。

「カッコいいDJ」の型をなぞったDJの末路

秀島史香さん秀島史香さん(写真:著者提供)

 そんな私がラジオDJとしてのキャリアをスタートさせたのは、大学3年生のとき。思い切って受けた大阪のFM802のラジオDJオーディションに合格したのがきっかけです(前著『いい空気を一瞬でつくる─誰とでも会話がはずむ42の法則』でどうぞ)。

 この頃の私には、夢だったラジオDJになれた喜びはもちろんですが、「1日も早く憧れの先輩DJに近づきたい」「一人前にならなくては!」という焦りがありあまっていて、高速で空回りしていました。

 そして「これだよね、ラジオDJって」という「定型文」ばかりをとっかえひっかえ並べていったのです。そう、まさに「FMしゃべり」。

 初めのうちは「結構、いい感じ」なんて思っていました。ですが、1年も経つと「あれ、なんだか窮屈だな」と行き詰まってきます。そりゃそうですよね。だって、実態もよく知らない「カッコいいDJ」の理想に背伸びして自分をはめ込んでいただけですから。自分が日ごろ使っている言葉で話していなかったのです。

 定型パターンを使い回して、いよいよ手持ちの言葉がなくなってくると、「さっきも同じこと言っちゃったし……」とスムーズに言葉が出なくなってきます。自分であって自分でないような、「他の誰かがペラペラ口だけで話している」という違和感が大きくなっていきました。