日本初の電線リサイクル装置を開発 インド進出や、知的障がい者事業も展開

――「剝線機(はくせんき)」で国内シェア首位だそうですが、剝線機とは何ですか?

中根 使用済み電線から塩化ビニルの被覆などを剝がして、効率よく銅だけを回収するリサイクル装置です。1961年に、弊社の前身である三立製作所が日本で初めて開発しました。

――開発のきっかけは?

中根 父がスクラップ業を営んでいて、使用済み電線から銅を取り出すのに野焼き(電線に火を付けて被覆を焼き、銅を回収する)をしていたことです。ただ野焼きは大気汚染のもとですし、野焼きをしないで銅を取り出せれば品質も上がりますから、簡単に銅を取り出せる機械を作ろうと考えたのです。

 ですが、この剝線機はすぐには売れず、しばらくは梱包機の受託生産などの下請け仕事がメインでした。しかし、大口取引先からの発注が急にストップして経営が傾いたのを機に、剝線機専門へとシフトしました。

――そこからどう成長されたのですか?

日本初の電線リサイクル装置を開発 インド進出や、知的障がい者事業も展開会長・中根昭氏。1945年生まれ。千葉県立京葉工業高校卒業後、三立製作所入社。76年解散退社後、77年三立機械工業を設立し、代表取締役に就任。2010年に会長に就任。

中根 仙台から名古屋まで各地のスクラップ会社を小型トラックで回って営業に励みました。地元・千葉の大手電線メーカー2社ともつながり、ご要望に合わせてさまざまな電線に対応できる剝線機を開発したことで、お客さまが増えていきました。その後も、銅部分の回収率を高める技術を開発したり、操作性を高めたりと、機械を絶え間なく改良。トラブルが起きたときには、現場に飛んでいって復旧作業をしました。その積み重ねが評価されたのか、お客さまが口コミで評判を広げてくださるようになりました。

――海外でも需要があるのでは?

中根 今まではあまり売ってこなかったのですが、需要はありますね。国内事業は息子である社長に任せられるようになったので、このところ、海外事業に本腰を入れつつあります。狙いはインドです。