岡藤正広Photo:JIJI

岡藤正広が考える
初代伊藤忠兵衛

 岡藤正広は社長就任した翌年の2011年から初代伊藤忠兵衛の墓参りを欠かさない。

 墓所は京都の東山区にある大谷本廟だ。そこは浄土真宗本願寺派の本山、本願寺の墓地で、宗祖親鸞の御廟所(墓)がある。

 岡藤は墓参りをして、伊藤忠の業績について報告する。報告しながら、初代忠兵衛はどんな人だったのだろうとふと考える。

「忠兵衛さんが作った頃の伊藤忠は商店ですから、経営者というよりも、商店の親父みたいな人やったんやろな。まあ、僕らは丁稚(でっち)みたいなもんや。

 忠兵衛さんは仲間と一緒に店を開いて、呉服を売っていたわけです。三井、三菱いう政商とは違いますし、到底、かなわなかったと思います。それが百何十年して、みんなで頑張って、ここまできたんやから、忠兵衛さんも『あんたら、ようやってくれたな』と、ものすごい喜んでおられると思うんです」

 彼は庶民的な表現で的確なことを語る。要するに、自分たちは庶民だ、小さな商いをして、こつこつ働いて幸せになりたいのだと言っている。無邪気に幸せを追求する人である。

 彼が見ているのは政界、財界ではない。お客さんと従業員だ。客にも従業員にも尽くしていきたいと思っている。

 彼はグループ会社に対しても目配りを絶やさない。それは総合商社の仕事が変質したからだ。

 事業投資がメインビジネスとなり、連結決算になってから、経営トップは伊藤忠本体の業績を上げるだけでなく、関連会社の業績もまた責任範囲になった。

 本社の経営トップは関連会社の仕事の中身、業績、そして幹部の行動に至るまで把握し、アドバイスできなくてはならないのである。

 繊維、食料から始まって、資源、エネルギー、IT、エンターテインメント…。そうしたすべてにわたって知識を持つことは不可能だ。

 そこで、岡藤は考えた。

 関連会社の数字、業績は見るけれど、細かいところはCFO以下のチームにまかせる。その代わり、岡藤は人間を見る。関連会社のトップの名前を覚え、現場に足を運び、会食をする。接待の設営まで自ら行う。