経営の神様稲盛和夫#4Photo by Kazutoshi Sumitomo

2022年8月、京セラを創業し、経営破綻した日本航空の再建を主導した稲盛和夫氏が亡くなった。2019年2月に亡くなった堺屋太一氏は、政治・経済の評論家であり作家としても幅広く活躍していたが、稲盛和夫氏との親交も深かった。日本の将来に関して、さまざまな議論を交わし、多くの共著も残した仲である。その堺屋氏が生前、稲盛氏について語ったインタビューを再編集して掲載する。(ダイヤモンド編集部)

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パリで稲盛さんが夫人の買った荷物を持って
「免税手続きするんだ」と言って走っていった

 稲盛さんと初めて出会ったのは1980年ごろでした。妻と共に訪れたパリで、同じく稲盛さん夫婦と一緒になったんです。

堺屋太一氏さかいや・たいち/1960年東京大学経済学部卒業後、通商産業省入省。日本万国博覧会の提案、企画・実施に携わる。78年に退官。作家として『油断!』『団塊の世代』等を執筆。98年7月より2000年12月まで経済企画庁長官を務めた。19年2月8日没(享年83) Photo by K.S.

 そのときの、今でも忘れられない光景があります。稲盛さんが夫人の買った荷物を持って、免税手続きするんだと言って走っていく姿です。大企業の社長が、秘書に頼むのでなく自ら荷物を抱えて走る。しかもその後、夫婦2人で観光バスに乗りに行った。特別の車も用意されていたのに、一般の観光バスに乗るというんです。目線が庶民的で、一般感覚を持ったすごい人だと思いました。それが第一印象です。

 第二電電の設立では、稲盛さんも、民間に電話事業を開放すると聞いた当初は、そうした大きな仕事は経団連あたりに声をかけ、横並びで資金を集めて始めるんだろうと思ったそうです。ところが政府は「誰でもどうぞ」と言ったそうです。「どうせ京セラなんぞにやれるはずがない」と官僚は思ったのでしょう。すると稲盛さんは、郵政省に自分で申請し、さっさと立ち上げてしまった。

 日本の大企業というのは役所と二人三脚で発展してきたところがありますが、稲盛さんは一般感覚からスタートし、常に消費者の目線でコトを運び、逆に役所の規制と戦ってきた。日本の財界人としては珍しい存在です。そういう意味では「松下幸之助2世」と言ってもいい。