保護猫事業で見た「社会の闇」ゴキブリ屋敷の飼い主と犬猫、犯罪者のペット…写真はイメージです Photo:PIXTA

ゴミ屋敷にいた十数匹の野良猫、精神を病んだ飼い主が飼う複数の犬と猫たち、殺人現場となった部屋に取り残された猫…。保護猫事業に関わるようになってから、さまざまな猫たちに出会ってきた。それはさまざまな境遇を持つ飼い主たちとの出会いでもあった。保護猫事業からは間違いなく現代の世相が見える。目の当たりにした一端を紹介してみたい。(一般社団法人CAT’S INN TOKYO代表理事 藍 智子)

原点は子ども時代の無力さと震災

 保護猫事業とは、さまざまな理由から飼い主がいない猫を保護し、新しい飼い主のもとに譲渡する事業だ。こう説明すると簡単なようだが、生き物の命を預かる仕事であるため、当然そこにはさまざまな問題がある。

 さまざまな飼い主がいて、無責任な人もいれば、同情するような境遇の人もいる。

 最初に、私が保護猫事業に関わるようになった経緯について簡単に書いておきたい。

 幼少期から、猫に限らず生き物全般が好きだった。その一方、両親は動物が好きではなく、私が子犬や子猫を拾ってくるたびに「元のところに返してきなさい」と言うような家庭であった。無力な子どもだった私はそれに従うしかなかったのだが、そういったことへのざんげの気持ちが根幹にあるように思う。「大人になったら、捨て犬捨て猫を全部拾おう!」と漠然と考えていたことを覚えている。

 大人になって猫を飼うようになり、東日本大震災の1年前には初めて犬も飼い始めた。

 そして迎えた震災。ネットで、福島第一原発事故により避難した被災者の声を取り上げたニュースを見て震撼した。「犬をつないだまま避難している。何とかしてほしい」。ニュースが配信されたのは2011年3月30日で、震災から3週間近くたっていた。

 もしもうちの犬がひとりぼっちでそんなことになっていたら…と想像するだけで恐ろしく、飼い主である被災者の心痛が耐え難く、思いつく限りの物資を車に積んで、福島県沿岸部の避難区域へ向かった。それが全ての始まりだった。

 福島沿岸部の道という道は大きな亀裂ができ、のみ込まれるように車が落ちていた。放たれた犬や牛たちは、群れを作って町中をさまよっている。家々には犬小屋につながれたままの犬や、室内に残されたままの犬や猫が数多くいた。窓ガラスを割って救出すべきなのか、飼い主が戻ってくるのか。見極めるのが難しく、都度苦しい決断を迫られた。

 家主に連絡がついても、全てを失った被災者は、魂をも失くしてしまったかのように力なく「放っておいてください」と言った。しかし、その後の展開が私の将来を大きく変えた。