以前から指摘されてきた「性的役割分担」

「野球がうまければ、すべて許される」、広尾氏の記事にそうあるが、許されてきたのは今回のような異性関係についてのトラブルもそうだろう。

 国民的スポーツである野球については、これまでも構造的な女性差別が指摘されることがあった。

 もう何年も前のことだが、「おにぎり2万個」を握った女子マネジャーの「美談」が物議を醸した。このマネジャーは「おにぎり作り集中のために最難関校受験の選抜クラスから普通クラスに転籍した」とも報道されていた。この物議の背景には、男子選手を献身的に支える女子マネジャーの構図が「性的役割分担」を感じさせる点がある。

 また、球児が幼い頃から野球を続けるためには練習場への付き添い、弁当作り、ユニホームの洗濯などの世話をすることが必要であり、これらを担当するのが母親である家庭も多い。チームによっては子どもに野球に専念させるために母親のケアを積極的に求める場合もあることから、「母親=世話係」という感覚が生まれやすいという指摘もある。

 さらに言えば結婚した野球選手が成績を落とすと、それが妻にも責任があるかのように取り沙汰されることもある。野球選手と結婚した女性がそれまで芸能などで活躍していた場合でも、結婚や出産後はあまり露出せず一歩引いた場から夫を「支える」ことが良しとされる風潮がある。

 このような環境の中で育てば、「男が主で、女は従」という意識になるのはむしろ必然ではないか。

 女性に対するインモラルなトラブルが相次ぐのは、「野球がうまければ、すべて許される」という意識のほかにも、女性を下に見る意識が刷り込まれているからではないか。

 女性は飯炊きか、セックスの対象。野球選手として活躍しても、そのような貧しい価値観しか持てていないのであれば、特にジェンダーにおいて価値観のアップデートが求められる昨今の風潮において、球界は新規ファンを獲得できるのだろうか。