対策での「選択」に共通する
日本の政策作りの危うさ
新型コロナウイルスの感染拡大は、「第8波」が懸念されるとはいえ、かつてに比べると、重症化リスクや医療不足などの問題は大きく緩和され、ウィズコロナ時代への移行が現実になってきた。
屋外でのマスク着用が不要となり、飲食店での会食も普通に行われるようになった。4回目ワクチンの接種率も全3回と比べて頭打ちだ。
振り返ってみると、コロナ禍はすでに存在していたさまざま問題を可視化した。社会的に弱い立場に置かれている人たちへのセーフティーネットの弱さ、医療・福祉従事者や自治体職員の不足などは顕著な例だ。
これらは早急に解消されるべき問題だが、事態が改善しつつあるいまだからこそ考えるべきは、コロナ対策で行われてきた「選択」にどういう意味があったのか、だ。
物価高対策などを名目にした総合経済対策でまた巨額の財政支出と繰り返されようとしているが、根っこには、コロナ対策と共通する日本の政策作りをめぐる危うさが残ったままだからだ。