022年10月27日にイーロン・マスクがツイッター社を買収し、リモートワークを認めずに週40時間の出社を求めたというニュースが世界を駆け巡りました。
一方で、半年前の6月24日にはNTTグループが日本全国どこからでもリモートワークで勤務できる制度「リモートスタンダード」を導入すると発表したことが話題となりました。出社と在宅ワークという相反する2つのトレンドのなか、どちらのほうがウェルビーイングが高い働き方で、どちらのほうが生産的だといえるのでしょうか。
本稿では、産業医・臨床医・脳画像研究者と複数の顔を持ち、国内外で研究が評価されている青木悠太氏が、国内外で実施された調査や研究に基づいて、在宅ワークの光と影について考えていきます。
在宅ワークは、企業も個人も幸せにする?
新型コロナウイルス(COVID-19)のパンデミックを機に一気に在宅ワーク(WFH: work from home)が普及しました。調査により多少数値は異なりますが、たとえば東京23区ではパンデミック前は普及率が3%程度だった在宅ワークがパンデミック中には中小企業で30%、比較的大きな企業では60%以上に上昇しています(1)。
導入する企業と従業員は、在宅ワークのベネフィットとして何を期待しているのでしょうか? 厚生労働省の検討会報告では、企業が在宅ワーク導入する目的には、次のようなものが挙げられています(2)。
1. 感染症流行時における事業継続性の確保
2. 通勤負担軽減
3. 家庭生活と両立させ、離職防止
4. 従業員のゆとり確保
5. 定常的業務の生産性向上
6. 創造的業務の生産性の向上
一方、従業員が実際に在宅ワークを経験して感じるメリットとしては、
1. COVID-19の感染のリスクが下がる
2. 通勤時間・通勤ストレスが下がる
3. 生産性が上がる
4. 人間関係のストレスが下がる
が挙げられています(3)。
報告にある企業の目的と従業員が感じるメリットを見比べてみると、両者がかなりマッチしていることがわかります。そのため企業側からも従業員側からも在宅ワークに対する不満は生まれません。つまり、きっかけは感染症予防という消極的選択とはいえ、ひとたび導入された在宅ワークは誰からも反対の声が上がりにくい構図になっています。実際に、調査では「通勤そのものをしなくなったことで、より仕事に集中できるようになった」「生産性も上がり、その分プライベートも充実した」という声も多く上がっており、生産性だけでなく、ウェルビーイングも向上したと考えている人がいることが見えてきます。
しかし、企業・従業員ともに挙げている「在宅ワークが生産性を向上する」という期待は、本当に満たされているのでしょうか。以下、各種研究から、紐解いていきましょう。
(2) 厚生労働省「これからのテレワークでの働き方に関する検討会」. https://www.mhlw.go.jp/content/11911500/000694957.pdf
(3) エン・ジャパン「『エン転職』1万人アンケート(2022年4月)「コロナ禍のテレワーク」実態調査」. https://corp.en-japan.com/newsrelease/2022/29066.html
「在宅のほうが生産性が高い」と我々に感じさせるものの正体
コロナ前である2019年当時の調査では、
・通勤ストレスが低いほど、
・仕事・プライベート満足度が高く、
・生産性が高い
と報告されています(4)。
この調査の結果が当てはまるとすれば、在宅ワークを導入することで通勤ストレスが減って、仕事・プライベートの満足度が上がり(ウェルビーイングが向上し)、生産性も向上する、と期待できそうです。
実際に、パンデミック前の2015年に中国で実施された研究では、Ctripという企業がコールセンターの従業員を在宅ワークとオフィス勤務に無作為に割り振って生産性を比較したところ、在宅ワークの従業員はオフィス勤務の従業員と比較して13%多く働くことができました。しかし、上昇分の内訳を見てみると、休み時間が少なく病欠が減ったために働く時間が増えたことで9%の上昇し、静かでより快適な労働環境のためにより多くの電話を受けられたことが4%の上昇に貢献しました(5)。つまり、在宅ワークにより得られた生産性の向上分は、労働時間が増えたことと業務が遮られなかったことで得られており、通勤ストレスがなくなったことは生産性の向上に直接影響していませんでした。
COVID-19のパンデミックにより多くの企業で在宅ワークが導入された後に行われた調査に基づく内閣官房成長戦略会議事務局の資料を見てみましょう。この調査では、従業員の82%、企業の92%が在宅ワークはオフィス勤務と比較して生産性が低下すると感じているといいます(6)。生産性が低下した理由として、「対面での素早い情報交換ができない」「家族がいるので仕事に専念できない」などが挙げられています。この結果は、先ほどの中国のCtrip社の研究で示されていた「遮られずに仕事ができたことで生産性が向上した」という結果と部分的に一致しています。家族の存在のために仕事に専念できない状況であれば、たとえ在宅ワークでストレスを感じなくなったとしても生産性は向上しないのです。そのうえ、オフィスで対面での素早い情報交換が生産性につながるということは、通勤ストレスを感じてでもオフィスに行ったほうが生産性が高いかもしれないということです。
ただし、ここまでの調査はあくまで感じ方や主観に基づいたもの。では、データに基づいてみると在宅ワークの生産性はどう評価できるのでしょうか?
(5) Bloom N, Liang J, Roberts J, Ying ZJ, "Does working from home work? Evidence from a Chinese experiment*", The Quarterly Journal of Economics, 2015;130(1):165-218.
(6) 内閣官房 成長戦略会議事務局「コロナ禍の経済への影響に関する基礎データ」. https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/seicho/seichosenryakukaigi/dai7/siryou1.pdf