おすすめ記事をダイヤモンド編集部がピックアップ!テーマ別に紹介していきます。本日は「伊藤忠の成長秘話」に関する3記事をピックアップ。ダイヤモンド・オンラインの会員読者から特に反響が大きかった人気記事をお届けします。

伊藤忠・岡藤会長が「会議の激減」を決意した、社長就任時の危機的状況

岡藤正広会長Photo:JIJI

2010年4月、岡藤正広は伊藤忠の戦後8代目の社長に就いた。その時の気持ちを後にこう思い出している。「4月某日、私は重い足取りで大阪から上京しました。それに先立つ2月11日、当時の小林社長から次期社長への就任を告げられていました。冷たい雨が降りしきる中、150年を超える歴史、連結60,000人以上の社員とその家族の生活を担う責任の重みを肩に感じたのを今でも鮮明に覚えています」(『統合レポート』より)。当時はどのような状況だったのか。

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伊藤忠・岡藤会長が「創業者の墓参り」を毎年欠かさない理由

岡藤正広Photo:JIJI

岡藤正広は社長就任した翌年の2011年から初代伊藤忠兵衛の墓参りを欠かさない。墓所は京都の東山区にある大谷本廟だ。そこは浄土真宗本願寺派の本山、本願寺の墓地で、宗祖親鸞の御廟所(墓)がある。なぜ岡藤は墓参りを毎年欠かさないのか。

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伊藤忠・岡藤会長の出世の転機となった「東京出張の1日延長」

岡藤正広・伊藤忠商事社長Photo:JIJI

東京大学経済学部を卒業した岡藤正広が伊藤忠に入社したのは1974年のことだった。生まれたのは大阪。実家は卸売商である。戦地から復員した父親が戦後、百貨店の食堂に野菜などを卸す仕事を始めたのだった。商売は悪くはなかったが、大金をためるほどではなかった。鮮魚や青物の卸売商は市場の仕入れは掛けで買える。そんな岡藤にとって、入社後に「出世の転機」となった出来事とは。

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