今年(2022年)11月、国連の気候変動枠組み条約第27回締約国会議(COP27)が、アフリカで初となるエジプトで開催された。その首脳級会合で、アントニオ・グテーレス国連事務総長は、冒頭の演説の中で危機感を露わにした。
「(産業革命以前と比べて)気温上昇を1.5℃以下に抑える目標達成には、2050年までに地球全体で脱炭素を実現しなければならない。しかし、人類の『生命維持装置』はガタガタと音を立てている。我々はもう後戻りできない危険なところに近づいている」
COP27事務局が10月に発表した報告書によれば、各国の目標を合わせても2030年時点の排出量は10年前と比較して10.6%増え、今世紀末までの気温上昇は2.5℃に達するという。
つい忘れがちであるが、脱炭素は一種の記号であり、そこには生物多様性や生態系など「自然資本」の毀損を食い止めるという目的が含意されている。
自然資本という概念は、1973年に上梓されたエルンスト・F・シューマッハの『スモール・イズ・ビューティフル』(講談社学術文庫)が初出といわれており、世界的に広まり出したのは、2001年に発行されたロッキーマウンテン研究所のエイモリー・ロビンスらによる『自然資本の経済』(日本経済新聞社)辺りからだろう。
近年、この自然資本を、維持・保全の域を超えてリジェネレーション(再生・拡大)していこうという「ネイチャーポジティブ」と呼ばれる取り組みが注目され始めている。実際、WEF(世界経済フォーラム)やWWF(世界自然保護基金)などの会合では、このコンセプトが一般化しつつある。これは、SDGs/ESGをイノベーションのトリガーとしようという考え方に棹差すものといえる。
昨2021年には、TNFD(自然関連財務開示タスクフォース)が正式に発足したが、企業活動をネイチャーポジティブへと転換させることを目指す国際的なイニシアティブである。具体的には、自然資本と生物多様性の観点からのビジネスチャンスとリスクの情報開示を求めるもので、2021年にそのための枠組みが示され、2022年にパイロット版の実施、2023年に実際の運用が開始される予定である。
自然資本や生物多様性というと、対象となる産業や企業は特定され、自分たちはあまり関係ないと考える向きもあるかもしれない。しかし、あらゆる企業が自社の内部不経済を地球環境(すなわち自然資本)という外部性に押し付けてきた結果が現在の温暖化であることを忘れてはならない。
では、ネイチャーポジティブの手本を探してみると、やはり自然資本を利活用している事業体が真っ先に浮かんでくる。そこで、300年以上にわたって自然資本と寄り添ってきた住友林業の光吉敏郎社長に、同社の取り組みについて聞くことで、ネイチャーポジティブ経営のヒントを見つけたい。
森林破壊がもたらす
負の連鎖を断ち切るために
編集部(以下青文字):いまや全人類に共通するグローバルアジェンダとなった地球温暖化対策ですが、森林破壊はその大きな原因の一つです。森林という自然資本の重要性について、どのように考えていますか。
光吉敏郎 TOSHIRO MITSUYOSHI1962年生まれ、佐賀県出身。1985年早稲田大学教育学部卒業後、住友林業に入社。アメリカやニュージーランドなど海外駐在を経て、2011年海外事業本部長、2015年住友林業ホームテック代表取締役社長、2017年住宅事業本部長を経て、2020年4月より現職。300年以上にわたって携わってきた森林経営の知見を活かし、樹木の新たな可能性を引き出す長期ビジョン「Mission TREEING 2030」を発表。世界の新潮流であるネイチャーポジティブを実践している。
光吉(以下略):自然資本は、地球上の生物がその恩恵に浴しているものです。その中で、住友林業が専門とする森林については、2015年に採択されたパリ協定で温暖化抑制策としてその保全が盛り込まれ、樹木は持続可能な社会に不可欠な存在であるという認識が再確認されました。森林は地球上で唯一、人間の手で再生できる自然資本です。しかしながら、貴重な天然林などは一度破壊されてしまうと、その再生が絶望的になってしまうこともあり、そのような事態に陥らないよう、先を見越した行動が不可欠です。
自然資本である森林の機能としては、第一に資源としての木材生産が挙げられますが、それに加えて近年世界から注目されているのが、CO2の吸収・固定機能です。樹木は光合成によってCO2を吸収し、燃やされない限り、たとえば建物や家具といった形で使用される間も、ずっと炭素を固定し続けることができます。
森林の水源涵養(かんよう)機能も重要です。森林の土壌が雨水を蓄えることで、河川に流れ込む水量が調整されます。大雨で洪水にならない、もしくは洪水が起こっても次第に緩和されていくのは、この機能のおかげです。
そのほかにも、土砂災害の防止から、さらには森林浴や山歩きなどのレクリエーションに至るまで、人間は長きにわたって、さまざまな森林の恩恵にあずかってきました。
もちろん、その恩恵を受けているのは人間だけではありません。森林といえば、木々が密集して生えている景色を思い浮かべる方も多いかもしれませんが、熱帯地域でよく見られる泥炭地も天然林の一種であり、落ち葉や枯死した枝や幹などが腐らずに堆積して形成されたものです。インドネシアやアフリカのコンゴ盆地、南米のアマゾンのほか、日本ならば北海道の釧路湿原やサロベツ原野などが有名です。
こうした森林や泥炭地は、生態系を守り、絶滅危惧種などを含めた生物多様性を担保するための基盤となっており、まさしく自然資本といえましょう。
しかし、残念ながら世界では、その大切な森林の破壊が止まりません。1990年からの30年間で日本の国土面積の4.7倍に相当する約1億7800万ヘクタールが地上から消えました。近年は減少のスピードが鈍化しているものの、この10年間でも年平均520万ヘクタールが減少しています。その要因は、世界人口の増加に伴う農地への転用、森林火災や干ばつ、違法伐採など、地域によってさまざまです。
一方で、カーボンニュートラルという大義名分の下、山を管理する、森林を保全・拡大するといっても、どこでも無条件に理解が得られるとは限りません。森林と人間の関係は地域によって異なり、しかもその地の人々の暮らしに大きな影響を及ぼす可能性があります。ですから、一律の考え方ややり方は通用しませんし、長期的な視点が求められます。