ハーヴァード大学の進化人類学者ダニエル・E・リーバーマンは、人体がどのように進化してきたかを研究するなかで、わたしたちが長距離を走るようにさまざまな自然選択を受けていることを見い出し、2004年にその成果を学術誌『ネイチャー』に発表した。論文のタイトルは「持久走とホモ属の進化」という平凡なものだったが、編集部が表紙に「BORN TO RUN(走るために生まれた)」と大々的にうたったことで大きな注目を集めた。
リーバーマンらの論文を受けて、ジャーナリストでウルトラマラソンのランナーでもあるクリストファー・マクドゥーガルが、「世界でもっとも偉大な長距離ランナー」であるメキシコの狩猟採集民タラウマラ族から、過酷な地形を24時間走りつづけるウルトラランナーまでを取材した『BORN TO RUN 走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族”』(近藤隆文訳、NHK出版)を2009年に出版し、世界的なベストセラーになった。
ちなみに「Born to Run」はブルース・スプリングスティーンが1975年に発表したアルバムのタイトルで、シングルカットされた同名の曲もヒットした。日本では「明日なき暴走」として知られている。
だがこのブームの火付け役であるリーバーマンは、近著『運動の神話』(中里京子訳、早川書房)で、膨大な文献・研究を渉猟したうえで、進化論的にいうならば、ヒトは走るために生まれてきたのではないという。そればかりか、わたしたちは「だらだらする」ように進化してきたのだと説く。
原題は“Exercised: Why Something We Never Evolved to Do Is Healthy and Rewarding(エクササイズド わたしたちがけっして進化させてこなかったものが、なぜ健康的で報われるのか)”で、「働く、訓練する、練習する」という意味のexerciseが、to be exercised と受動態になると、「悩まされる、いらいらする、何かに不安になる」というネガティブな意味になることをかけている。わたしたちは運動(エクササイズ)に悩まされている(エクササイズド)のだ。
ヒトはできるだけ身体を動かさないように進化してきた
リーバーマンは長年、タンザニアの狩猟採集民であるハッザ族を調査してきたが、彼ら/彼女たちの日常生活を観察すると、野営地にいるときはほとんどの場合、地べたに座って噂話をしたり、子供の世話をしながら軽い雑用をこなしているか、ただブラブラしていることに気づいた。
より詳しく調べると、ハッザ族の平均的な成人は、一日に合計3時間40分を軽い活動に、合計2時間14分を中程度から激しい活動に費やしていた。平均して、女は一日8キロ歩き、塊茎の掘り出し作業に数時間費やし、男は狩猟などで一日11キロから16キロ歩く。
他の伝統的な狩猟採集民の生活もほぼ同じで、一日のうちに活動するのはせいぜい6時間程度で、残りの18時間は寝るか、休息するか、座って軽い作業をしていた。
しかしそれでも、類縁種であるチンパンジーやゴリラと比べると、ヒトははるかに活動的だ。平均的な一日にチンパンジーが登る標高は約100メートル、歩く距離は3~5キロほどでしかない。ゴリラにいたっては、ほとんどの時間を森のなかで座り込んで、近くにある果実や植物の葉、昆虫などを食べている。
なぜこんなに怠け者になったのかというと、エネルギーはきわめて貴重なので、それを節約するように強い淘汰圧がかかったからだ。ウルトラマラソンに挑戦するような、無駄にエネルギーを浪費する個体は、まっさきに遺伝子のプールから排除されてしまったにちがいない。わたしたちは、できるだけ身体を動かさないように進化してきたのだ。
ヒトはチンパンジーなどに比べて、もともとエネルギーコストが高い「高燃費」の生き物だ。日本人の場合、一日あたりの基礎代謝(覚醒状態の生命活動を維持するのに最低限必要なエネルギー量)は10代から40代で男が1500~1600キロカロリー、女が1100~1300キロカロリーになる。安静時代謝(安静に過ごしているときに消費されるエネルギー)は基礎代謝のおよそ1.2倍なので、椅子に座っているだけで、男は2000キロカロリーちかく、女は1300~1500キロカロリーを一日に使っている。肝臓、脳、筋肉などを動かし、生命活動を維持するのにこれだけのエネルギーを必要とするのだ(ちなみに、一日1万歩≒8キロのウォーキングでは250キロカロリーしか消費しない)。
「ハッザ族はチンパンジーに比べて除脂肪体重1キログラムあたり約2倍のカロリーを消費し、座りがちなアメリカ人でさえ、1日あたり除脂肪体重1キログラムにつきチンパンジーより約3分の1多くカロリーを消費している」とリーバーマンはいう。
必要なカロリーが多ければ多いほど、カロリー不足になるリスクも高くなる。支出が多いときには、ほんのわずかな節約でも貴重だ。
だったらなぜ、人体は歩いたり走ったりするのに適した構造をしているのだろうか。それは、生きるために活動せざるを得なかったからだ。
狩猟採集という独特の生活様式は、より多くの身体活動を要求した。人類は「走るために生まれた」どころか、数十万年、あるいは数百万年の進化の歴史のなかで、ずっといやいや運動させられてきた。その結果として、わたしたちは効率的に歩いたり走ったりすることができるようになったのだ。