信越化学工業の金川千尋(かながわ・ちひろ)会長が1月1日、肺炎のため96歳で死去した。1950年に極東物産(現三井物産)入社後、62年に信越化学工業へ転職。76年に塩化ビニールメーカーの米シンテックを子会社化し、その後、自ら社長となって、世界一の塩ビメーカーに育て上げた。山本五十六を心の師と仰ぎ、「常在戦場」を座右の銘に、経営の第一線で戦い続けた。2016年12月16年に「ダイヤモンドクォータリー」で行ったロングインタビューを再掲載する。
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信越化学の長期成長を支える
リスクの見極め方と対応力
編集部(以下青文字):御社が経済状況に左右されずに長期的な成長を続ける理由として、リスク対応力の高さもあるのではないかと思います。金川さんご自身、「好事でも常に最悪を考える。危ない芽をいかに摘むかに注力する」とおっしゃっていますね。とはいえリスクのないところに商機はありません。「踏まざるをえないリスク」と「踏んではいけないリスク」についてはどう考えていますか。
金川千尋 CHIHIRO KANAGAWA
1926年、日本統治下の朝鮮・大邱(テグ)に生まれる。1950年3月東京大学法学部政治学科卒業後、極東物産(現三井物産)入社。1962年2月信越化学工業入社。1970年12月海外事業本部長、1975年1月取締役。1978年3月、みずから設立に関わったシンテック社長となり、アメリカで最後発の参入ながら、世界一の塩ビメーカーに育て上げた。1990年8月に信越化学工業の代表取締役社長に就任。2010年6月代表取締役会長。
金川(以下略):けっして踏んではいけないリスクはカントリーリスクです。
これは私自身も過去に経験しています。
当社が1967年に中米ニカラグアに設立した塩ビ会社は、かつて順調に成長していました。1972年のマグアナ大地震の際も耐震設計がしっかりしていたので、電気が復旧したら、すぐに再稼働できました。
しかし、1979年7月、当時の独裁政権が革命で倒れて政権交代が起きると状況は一変しました。新政権が当社の工場を接収したために撤退を余儀なくされたのです。この経験により、カントリーリスクというものの怖さについて身をもって知りました。
カントリーリスクは一企業の力でどうにかできるものではありません。したがって、人件費や原材料費などのコストがいくら低い国であっても、カントリーリスクがあるならば投資すべきではないでしょう。
一方、それとは対極といえるのがコマーシャルリスクです。コマーシャルリスクで負けたのなら、それは単にその経営のやり方が悪いということですから。
つまり、「踏まざるをえないリスク」はコマーシャルリスクということですか。
はい。聖書の一文「狭き門より入れ」はビジネスにも当てはまります。
シンテックは大手各社が競い合うアメリカ市場に、最後発で参入しました。しかし、コマーシャルリスクが高い事業ほど、成功したら大きな成果を得ることができます。事業で成功するための鉄則の一つは、あえて困難な道を選ぶことです。他社がやろうとしないような難しいことを実現すれば、利益はそれだけ大きくなります。
コマーシャルリスクのない国や地域は、カントリーリスクが高いところが多いのです。カントリーリスクが高い国や地域は、事業が成功したとしても、その成功が長く続くとは限りません。ゆえに、カントリーリスクが高いところでの大規模な投資は難しいと言わざるをえません。たとえば、ビジネスが成功するかどうかは時の政権と親密か否か次第という国ですね。こういう場所に行ってはなりません。
やはり日本や欧米などコマーシャルリスクは高くてもカントリーリスクが比較的低い国で事業を行い、そこで競争して相手に勝たなければいけません。
逆に言えば、コマーシャルリスクの高い国で負けるような事業は、どこへ行っても勝てないということです。