米ディズニーランドに開業後
日本で多くのモノレール計画が浮上

 戦後になると東京都は、自動車の増加で運行が困難になりつつあった路面電車(都電)を、利用者が多い区間は地下鉄、中規模の区間は懸垂式モノレールで置き換えようと考えた。そこで東京都交通局は1957年、ランゲン式をベースにゴムタイヤで走行する独自方式のモノレールを上野動物園に設置したが、後は続かなかった。

 こうした中、1950年代に西ドイツで、コンクリート製の桁上をまたいでゴムタイヤで走行する跨座(こざ)式の一つである、「アルヴェーグ式」モノレールが開発されると、モノレールに新たな波が押し寄せた。ゴムタイヤの採用で鉄道が苦手とした急勾配に対応可能で、また騒音も低減されるなど、都市交通としての適性をさらに高めた。

 これに強い関心を持ったのがウォルト・ディズニーだ。その未来性、非日常性に注目した彼は、カリフォルニアのディズニーランドにモノレール建設を決定し、1959年に開業した。都市交通ではなく園内の移動手段(アトラクション)としての位置付けではあったが、その成功は大きな注目を集めた。

 すると日本国内に次々とモノレール計画が浮上。1960年にアルヴェーグ社と技術提携した日立製作所の関与の下、同年に東京モノレール、名古屋鉄道犬山ラインパークモノレール(2008年廃止)、1962年によみうりランドモノレール(1978年廃止)、1953年に熱海モノレール(未成)が免許申請した。

 1960年代には方式の異なる跨座式である、ロッキード航空機と川崎航空機が開発した「日本ロッキード式」や、東京芝浦電気が独自開発した「東芝式」を採用した路線も開業している。これらはいずれも遊園地や観光地の交通機関であり、東京モノレールを除き、現存する路線はない。

 アルヴェーグ式は1961年のイタリア・トリノで開催された建国百年博覧会、1962年のアメリカ・シアトル万博に出展され好評を博したが、1961年11月に産みの親アクセル・レンナルト・ヴェナー=グレン(アルヴェーグとはAxel Lennart Wenner-Grenの頭文字を取ったものだ)が死去すると下火になり、いくつかの技術的欠点を克服できないままアルヴェーグ社は倒産してしまう。

大阪万博でお披露目され
都市交通機関として注目

 この頃、本気でモノレールに向き合っていたのは日本だけだったといっても過言ではない。

 運輸省は1967年に日本モノレール協会を通じて「都市交通に適したモノレールの開発研究」を委託。最終的に、跨座式はライバルだった日立・東芝・川崎が協力してアルヴェーグ式を改良した「日本跨座式」、懸垂式は愛知県の東山公園モノレールや湘南モノレールで採用実績があり、三菱が主導する「サフェージュ式」を統一規格とした。現在につながるモノレールの歴史はここからスタートする。