オーストリアでは古くから各地方で民族音楽が育まれてきた。政治の中心都市で花開いたウィンナーワルツも今なお国民文化である。育った環境で無意識に育まれる文化的感覚の力は侮れない。

 抜群の演奏技術と表現力の高さを持つNHK交響楽団の元・第一コンサートマスター篠崎史紀でさえ、ウィーン留学時代、ワルツ曲の演奏技術の向上のために「踊る方のワルツも習え」と言われたというのだから、その体感と経験がどれほど重要かがわかるだろう。

受け継がれていく音楽教育

 ウィーン・フィルが閉じた血縁的世界であることには、こうした理由が絡み合っていると思われる。ウィーンに限らず、音楽家一家に生まれれば音楽家になるための教育環境に恵まれ、よい師に巡り会う可能性も高い。

 血縁関係がなくとも、オーストリア出身で子供の頃からウィーン・フィル奏者やその師から音楽を学ぶ機会を得た者にも利がある。

 元第一ヴァイオリン奏者のアルフレート・シュタールは教師としても有能で、一時期はウィーン・フィルのヴァイオリン、ヴィオラ奏者のうち、25名が自身の教え子であったという。楽団長ダニエル・フロシャウアーや、現在のコンサートマスターであるフォルクハルト・シュトイデも共にシュタールの弟子である。

 こうして受け継がれてきた土着感覚と音楽教育が、ウィーン・フィルの唯一無二の音楽的特徴を形作っていると言えるだろう。

新しい風も吹き始めている

 血縁の利を受けてキャリアの早くからウィーン国立歌劇場やウィーン・フィルの職を得る奏者がいる一方で、近年ではオーストリアの他のオーケストラや他国の楽団を経てウィーン・フィルを目指す奏者も増えてきた。

 ウィーン・コンツェルトハウスに拠点を置くウィーン交響楽団や、隣国ドイツの歌劇場などで経験を積んだのち、ウィーン国立歌劇場のオーディションを受けて移籍してきた奏者も多い。

 例えば近年指揮にも取り組んでいる、活躍めざましいファゴット奏者のソフィー・デルヴォーはフランス生まれだが、21歳でベルリン・フィルに入団し、24歳でウィーン・フィルに移籍した。20代にして世界最高峰のオーケストラふたつに入団し、さらにそのどちらでも首席奏者を任された逸材である。