東京五輪の典型的な「国威発揚」と「景気回復」

 そんな戯言はまったく受け入れられないという人も多いだろうが、我々は2年ほど前、その典型的なモデルケースを目撃している。東京2020だ。

 開催直前は「アスリートファースト」という言葉がやたらと叫ばれたが、実は東京2020の招致段階で、それは二の次、三の次で、メインの目的は「国威発揚」と「景気回復」だった。

 例えば、2016年8月21日に放送された「おはよう日本」(NHK)では「五輪開催5つのメリット」をスタジオで説明していたのだが、そこでNHK解説委員が真っ先にあげたのは「国威発揚」だった。こういうスポーツナショナリズムを、オリンピック憲章では明確に否定しているので当時、大きな話題になった。

 ただ、この解説委員が特殊な思考の持ち主だったというわけではない。当時、日本の知識人は「五輪が国力回復の起爆剤となる」と常識のように語っていた。だから、安倍晋三首相(当時)も招致決定後、世界に向けてこのように演説しているのだ。

「15年続いたデフレ、縮み志向の経済を、オリンピック開催決定を起爆剤として払しょくしていきたい」

 もちろん、一般庶民の中にも「五輪=国力回復の起爆剤」と捉える人はかなりいた。クロス・マーケティングが17年5月に20~69歳の男女1000人に東京五輪開催に伴って期待することを質問したところ、「景気回復・向上」(31%)がトップになっている。

 そんな淡い期待が裏切られてしまったのはご承知の通りだ。コロナ禍がどうこうという以前に、相次ぐ不祥事で国民の五輪消費熱はすっかり冷めきってしまったからだ。

 また、期待していた「レガシー」とやらも、建設バブルでゼネコンが潤っただけで、東京都にはこれから毎年、すさまじい額の赤字を垂れ流す施設が増えただけだった。挙句の果てに、紳士服大手のAOKIのように五輪ライセンス商品をつくって儲けようという企業が、組織委員会に裏金を渡すという、当初からささやかれていた「利権の祭典」になっただけだった。

 話を戻そう。このように「国威発揚」や「景気回復」という強い期待をのっけられたスポーツはどうなっていくのかというと、過剰なまでに「勝利」へ固執するようになる。

 当然だろう。国威発揚や景気回復につながるほど、日本社会が熱狂するには、「日本の勝利」が必要不可欠だ。競技としての面白さや、世界の人々とのスポーツを通じて交流が見られても、負けてばかりだと盛り上がりにかける。オリンピックで「国威発揚」や「景気回復」を期待する人たちというのは、スポーツを楽しみたいのではなく、「日本の勝利」を味わいたい人たちなのだ。