手のひら返しのおおまかな傾向
多くの人の共通点とは
村上選手を批判していた人たちは、逆転タイムリー後、そのツイートをどのように変化させていったのか。当初は「100人くらい観察してみよう」と考えていたが、ネガティブな言葉をずっと読んでいたら疲れてしまった。ただ「手のひら返し」のおおまかな傾向はつかめたので、20人強で切り上げたことをご了承願いたい。
以下、大体同数くらい(2、3人)いた人たちである。
・自身が批判したことには触れずに喜ぶ(批判したことを完全に忘れているかのごとし)。
・かたくなに村上をほめず、同点の3ランを放った吉田をほめる。
・上からほめる。「許してやろう」など。
・「おめでとう」とは言うが、まだ村上に批判的。
そして、「ちゃんと批判したことを謝った」は4人(約2割)であった。
ただ、もっとも多かったのが「WBCについて急にまったく触れなくなる」という人たちである。もっとも、村上選手批判ツイート後、なんのツイートもせずにツイッターから離れてしまったような人も多かった。言ってみれば、しょせんはツイッターであり、ひどい批判の言葉でも無責任に発言している人がいかに多いか、ということが見て取れた。
あまたのケースを見るうちに、ほとんどの人に共通しているあることに気づいた。それは「勝利を祝う喜びの歯切れが悪い」ということである。
これは考えてみればそれもそのはずで、散々くさしてきた選手がしかと成果を上げてくれたので、バツが悪いのである。だから素直に喜ぶ前に、自分が行った批判への言い訳をまずしなければならない。これでは喜ぶべき瞬間に100%喜ぶのはなかなか難しいのであろう。
※己が批判をしたことを忘れたかのごとく喜んでいる人たちは、ある意味最強である。図々しさや面の皮の厚さが備わっている人ほどおいしく生きることができることが、身をもって示されていた(その代わり、そうした生き方は他人の信頼を得にくいというデメリットもある)。
だから逆説的にいうと、勝利の喜びを100%享受するなら、試合中の批判はしない方が賢明であるということがわかった。
しかし、批判をしないでスポーツ観戦するというのも難しいのかもしれない。筆者は代表戦やオリンピックの際にスポーツ観戦するくらいのライト勢で、見ながら批判もしないが、スポーツ観戦やそのチームにのめり込んでいる人ほど期待は強く、同時に落胆も強いはずである。その落胆の方が来た瞬間につい悪態をついてしまう……という心情は、なんとなく想像できる。
昔から日本では「野球中継を見ながら文句をつぶやくお父さん」像が一つの典型として知られてきたが、あれをちょうどSNSでやっているのが現代であって、つい口をついて出てしまった悪態が、お茶の間ではなくて全世界に発信されたことをのちほど自覚してバツが悪くなっている人が全国にたくさんいる……ということだろう。
また、これはSNSの普及のおかげか、時代の価値観の変遷のためか、不振の選手に対してポジティブな声が多く聞かれるようになったことも印象深かった。「スポーツは結果が全て」という言葉は広く認知されているが、「スポーツは結果が全てだけど選手も人間」「選手それぞれに心や人生がある」といった視点が、かなり一般的に用いられている様子は道徳的に好ましく思えた。