我々はかわいそうだが、悲しくない
明るく元気に生きましょう
最後に、村上選手のメキシコ戦のサヨナラ逆転を見逃した人たちへ。
我々は不運であった。リアルタイム観戦を怠ったがゆえその瞬間に立ち会えなかったことは、さながらスポーツの神による罰であろうか。たしかに、そう考えられる向きはあるかもしれない。あれは、つらい時にチャンネルを変えずに試合の成り行きをかたずをのんで見守ったファンにこそ与えられる、スポーツの神によるごほうびであった。
決定的瞬間を見逃した我々は、大変かわいそうであった。しかしたとえば、筆者はその瞬間猫とプロレス遊びをしていたが、その時の筆者と猫はかわいそうであったかといえばそうではない。筆者も猫も楽しんでいた。喜びは人生の至るところにあり、逆転タイムリー目撃にこだわる必要はない。同じ悲しみを抱くものとして時に傷をなめ合いながら、自分なりの喜びを発見しつつ、共に強く生きていきましょう。