データの価値が飛躍的に増大する中、世界各国で国家レベルでのデータ戦略がますます重視されている。巨大プラットフォーマーが主導するアメリカ、欧州委員会が域内市場とルール形成をリードするヨーロッパ、国家がデータを統治する中国など、その戦略は各国・地域によって異なる。データ戦略の基本ビジョンとして「Society 5.0」を掲げる我が国は、人間中心のデータ駆動型社会をいかに実現していくべきか。第3次情報革命としての「アンビエント情報社会」を提唱してきた、大阪大学総長の西尾章治郎氏に聞いた。

第3次情報革命としての
アンビエント情報社会

編集部(以下青文字):2022年のデジタル競争力ランキング(IMD調査)で、日本は過去最低の29位となりました。こうした国際的な評価をどうとらえていますか。

データ駆動型社会の展望と人中心の情報革命への戦略大阪大学 総長
西尾章治郎
SHOJIRO NISHIO
京都大学工学部卒業、同大学大学院工学研究科博士後期課程修了(工学博士)。専門はデータ工学。京都大学工学部助手、カナダ・ウォータールー大学客員研究助教授、大阪大学基礎工学部助教授を経て、1992年同工学部教授。その後、大阪大学サイバーメディアセンター長(初代)、同大学院情報科学研究科教授、同研究科長、2007~11年同理事・副学長などを歴任し、2015年8月に第18代大阪大学総長に就任。その間、文部科学省科学官、同科学技術・学術審議会委員、日本学術会議会員(情報学委員長)、科学技術振興機構研究主監(PD)、総務省情報通信審議会委員(会長代理)、国立大学協会副会長等を多数務める。2011年紫綬褒章、2014年文部科学大臣賞、2016年文化功労者など受賞多数。

西尾(以下略):このランキングの評価項目の中で、デジタル・技術スキル領域に関して63カ国中62位になっているのが特に問題だと思います。我が国の情報人材育成の現状に目を向けると、大学では学部名や学科名に「情報」を冠していても、その大半は「情報を使って〇〇する」という応用的な情報関連人材を育成するものであり、情報中核人材は国公私立大学全体で「情報」を冠した入学定員総数の2割にも満たないと推測されます。情報の中核的な基礎理論を習得し、実践技術を身につけた情報人材が、量・質とも圧倒的に不足していることが、ランキングの結果につながっていると思います。

 他方、中国は質の高い情報人材育成の重要性に15年も前に気づいており、中国屈指の上海交通大学では、情報人材の核となる高度なソフトウェア人材を育成するソフトウェア学部、サイバーセキュリティ学部を一般のコンピュータサイエンス関係の組織とは別に設置しました。その総定員は数百人に及んでいます。アメリカでも、2006年からの10年間に情報人材としての教育を受けた学生の数が4倍になっています。

 アメリカ、ヨーロッパ、中国がそれぞれデータ戦略を強化しており、一面では覇権争いの様相を呈しています。

 3極の戦略、制度などはさまざまですが、その中でデータの流通と利活用による恵沢の増大と弊害の抑制を図るには、我が国が2019年のダボス会議、G20茨城つくば貿易・デジタル大臣会合およびG20大阪サミットで提唱し、アメリカ・EU(欧州連合)・中国を含む各国も合意、共有している「信頼性のある自由なデータ流通」(DFFT)の実現に向けた国際協調が重要と考えます。

 私自身、総務省の懇談会でG20におけるDFFTの提唱に向けた検討を主導しました。DFFTについては、2022年のG7デジタル大臣会合で「G7 DFFTアクションプラン」が採択され、2023年には我が国が議長国を務めるG7会合で議論が深められる予定です。今後、2国間・多国間の会合などを通じて、DFFTの実現に向けたルールや政策を国際的に共創していくことに期待したいと思います。

 科学技術戦略、データ戦略の基本ビジョンとして、政府は「Society 5.0」を掲げています。これをどのように評価されていますか。

 情報通信分野の第1次革命はインターネットであり、20世紀から21世紀に向けての最大のプレゼントだったと言っても過言ではないでしょう。第2次革命はユビキタス情報社会で、場所の拘束から解放され、モバイル端末を使い「いつでも、どこでも、誰とでも」情報を送受信することが可能になりました。

 では、第3次革命は何なのか。私は、その候補として「アンビエント情報社会」を強く提唱しておりました。ユビキタス情報社会では、情報システムが生活の隅々まで普及し、簡単に利用できる社会が構築されますが、情報機器はサービスを提供可能な状態で待機しています。つまり、ユーザーからの操作を待つという点では受け身(プル型)です。

 アンビエント情報社会では、プル型サービスに加えて、周囲の情報機器がユーザーの状態を感知し、「いまだから、ここだから、あなただから」というように、自律的に、しかも、さりげなくユーザーに働きかけるプッシュ型サービスが可能なことが大きな特徴です。

 リビングルームを例に取ると、従来はユーザーがたくさんのリモコンを使いこなしながら周辺機器を制御し、自分自身の嗜好、体調などに応じて室内環境を調節してきました。それに対して、アンビエント情報環境では、ユーザーの嗜好、体調などに応じて、タイムリーに、テレビ、BGM、エアコン、照明などの機器が自律的に連携して動作します。また、緊急の情報やメールをディスプレーの片隅や小型端末に自動表示してくれます。しかもその過程においてセキュリティ、プライバシーが確保されています。

 私がこのような新たな情報環境をアンビエント情報社会と名付けたのは2005年のことですが、概念を提唱するだけでは実行性がありませんので、アンビエント情報環境の構築を目指した拠点を形成することを計画しました。文部科学省の重要施策であるグローバルCOEプログラムとして、2007年度から5年間、総額約10億円のプロジェクトを推進し、多くの研究成果と卓越した大学院生の人材を育成しました。

 Society 5.0とはどのような社会かを考える時、その本質は、IoT技術を駆使しつつ、超大量のデータを獲得・蓄積し、そのビッグデータを情報技術、人工知能技術を駆使して処理・分析し、「いまだから、ここだから、あなただから」というように、ユーザーに自律的に、しかも、さりげなく働きかけるプッシュ型サービスが実現されることと言ってもよい、と考えます。つまりは、アンビエント情報環境によって実現される社会と同様であるといえます。

 Society 5.0は超大量のデータをもとに最適な環境を実現しようとするものですが、それによって実現される社会が人々にとって暮らしやすい社会なのか、求めている社会なのか、本当に最適な社会であるのか、という根本的な問いかけは、常に持ち続けておく必要があると考えています。人々の自発性や自由を奪うのではなく、あくまで人々が活きいきとした生活を送るうえでそれをさりげなく支える、人間中心の社会であることが重要です。