二〇三高地を巡る戦闘は
日露戦争のハイライトの一つ

 文庫本で八冊となるこの長編の中でも、二〇三高地を巡る戦闘は、海軍の日本海海戦と並んでハイライトの一つだ。

 旅順港は天然の良港で、ここにロシア軍艦が閉じこもってしまうと攻撃のしようがない。そして、一隻でも軍艦が港に残ってしまえば日本海を渡る補給船は常に脅威にさらされて戦闘継続さえおぼつかない。旅順攻略は、この戦争の要諦となった。

 二〇三高地は旅順市街の北西にあり、文字通り海抜二〇三メートルの小高い丘である。今は観光地になっていて麓の駐車場から観光用のバスに乗り換え、さらに十分ほど急峻を登る。息を切らして頂上に着くと、たしかに旅順港が一望できた。ここに砲台を築けば、停泊中の軍艦を撃つのはたやすい。守るロシアからしても、ここは絶対に死守しなければならない。

 反対側を見ると北側の斜面は、ほとんど崖といってよく、ここを駆け上がってくるのは至難の業だったろう。実際、ここでは多くの日本兵が命を落とした。繰り返し行われた突撃の無謀さと悲惨さが、『坂の上の雲』でも克明に描かれている。ただ、このときの指揮官である乃木希典を、少し無能に描き過ぎているという批判もあるようだ。

 日清・日露戦争までを祖国防衛戦と捉え、それ以後の軍部の暴走と区別する、いわゆる「司馬史観」については批判も多い。また最近は、保守派からは、司馬史観でさえも自虐的という声もあると聞く。

 しかし、司馬さんが、これだけの紙数を費やして描きたかったことは何だろう。