司馬遼太郎『峠』の主人公・河井継之助、戊辰戦争敗北を招いた隣藩との因縁戊辰戦争終焉の地となった五稜郭 Photo:PIXTA

新政府軍と長岡藩による北越戦争は、日本史上最大規模の内戦・戊辰戦争の中でも特に苛烈な戦いだった。当時の長岡藩で軍事面の実権を握り、奮戦の末に亡くなったのが河井継之助だ。河井らの奮戦ぶりは司馬遼太郎の小説『峠』で描かれ、役所広司主演で映画化もされた。ここで明暗を分けたのが、長岡藩と同じ越後国に位置するものの、新政府側についた新発田(しばた)藩の動向である。新発田藩の決断の裏側にある、当時の越後国の内情について解説する。(作家 黒田 涼)

河井継之助が敗れた裏側にある
「隣藩との因縁」とは

 戊辰戦争でも特に激烈を極めた、新政府軍と長岡藩による北越戦争。長岡藩の河井継之助らの奮戦ぶりは司馬遼太郎の小説『峠』で描かれ、役所広司主演で映画化もされた。

根強いファンの多い河井だが、なぜあれほどの抵抗が可能だったのか。また、最終的に長岡藩が敗れる原因となった越後国内での対立の原因とは何か。

 実は全て、新潟に繁栄をもたらした信濃川が絡んでいるのである。

 河井継之助(1827~1868)は長岡藩中堅藩士の家に生まれ、藩主に見いだされて幕末に藩政の主導権(特に軍事面)の実権を握り、戊辰戦争が始まると一層軍事力強化に励んだ。長岡藩が、当時日本に3門しかなかったというガトリング砲(機関銃のような連射銃)のうち2門を買ったというのは有名な話だ。

 しかし河井は、新政府側につくか旧幕府側かにつくかの結論を明らかにせずにいた。

司馬遼太郎『峠』の主人公・河井継之助、戊辰戦争敗北を招いた隣藩との因縁司馬遼太郎直筆の『峠』文学碑

 会津討伐を掲げる新政府軍が長野方面から信濃川沿いに越後に入り、長岡藩領すぐ南の小千谷まで迫ると、河井はようやく談判に出かけた。河井は交渉の場で、新政府軍の通過を拒否するとともに、新政府軍の攻撃目標であった会津藩との和平交渉の仲立ちを持ちかけた。

 新政府側はそのような話は到底のめず、交渉は決裂となった。その要因について、河井の要望を聞き入れなかった新政府側の軍監、岩村精一郎の無能や傲慢を言い立てる意見がある。

 しかし、当時の河井は無名であり、家老の下にいた小藩の人物である。新政府側の人間が、その言葉を信じる方が無理ではなかろうか。